2019年8月5日月曜日

口長島→大山(986m)

★概要

  • 日程:2019年7月24日
  • 到着時天候:曇り,大山山頂付近気温:24℃,微風
  • コースタイム
    自宅発4:35→口長島着6:15→休憩・準備10分→同発6:25→口長島登山口6:30→谷沢・口長島・大山方面分岐点(東海自然歩道,569m峰)7:50→大山山頂(展望台)着9:20→休憩2時間10分→同発11:30→谷沢・口長島・大山方面分岐点12:15→口長島登山口13:00→口長島着13:05→休憩5分→同発13:10→自宅着14:30
  • 総行動時間:7.5時間(自転車:1.6+1.4時間、山行:3+1.5時間)
  • 総休憩時間:2.5時間 
  • 総移動距離:44km
  • 最高標高:約970m(大山山頂付近展望台)
  • ルート:松浦理博「安倍山系 中」,大山,ルート②

★写真(168枚)

https://photos.app.goo.gl/Ur15r7USiwv3AmGz5

★動画(8本)


https://www.youtube.com/playlist?list=PL1yL59pLYS3ThSd7kcXBLTo5gFFAKtOIR

★ レポート

"…絵もない 花もない 歌もない 飾る言葉も 洒落もない…"
木の実ナナ&五木ひろし「居酒屋」,作詞:阿久悠

「これは間違いだったのか?」思わずうめき声が漏れた.

確かに前回の山行結果を考慮して,標高は前回の目的地よりも250mほど高く設定した.そしてルートの約60%は未踏の道.悪くないはずだ.しかしこれは何だ?イメージしていたものとはまるで違う.苦行.まるで苦行だ…

* * *

…スタート前の準備.それは前回よりもはるかにスムースだったが,それが「ゆとり」とともに気の緩みを引き起こし,出発は遅れた.4:35.ただ今回は,事前に睡眠を十分にとったため,山行後の睡眠時間確保のプレッシャーはない.行こう.

自分の住んでいる静岡市街.そこから晴れていればいつも見える山がある.富士山ではない.子どもの頃にはよく見えていた富士山の雄姿は,随分前にビル壁によって埋め立てられてしまった.見える山とは,知る人ぞ知る大山(986m).頂上付近にポツッと,ポリープのようにNTT電波塔が見えるので,他の山との見分けは容易だ.

大山は数年前の春に,東海自然歩道の谷沢登山口から登ったことがあるのだが,頂上の巨大な電波塔と,静岡市街まで見渡せる展望以外に印象が残っていない.なぜだろう?その時は突先山(1022m)まで縦走し,大山山頂をほぼ素通りしたからなのか?

「大山山頂」という言葉.これは正確ではない.なぜなら大山山頂986m地点はNTT施設の敷地内にあり,立ち入りが制限されているはずだからだ(ただし未確認).そのため大山登山者は,大山山頂付近の電波塔に隣接する,テーブルとベンチのある展望台付近(標高970m程度)を目的地とすることになるだろう.

今回この大山を選んだ理由の1つは,前回の山行結果から体力を逆算し,トレーニングとチャレンジを両立させうる山と判断したからだった.一度登ったことのある山だが,今回選んだ口長島からのルートは,約60%が未踏の道であるだけでなく,大山の標高が1000m近くあり,前回の道白山より250mほど高いため,達成モチベーションを維持しやすいと判断した.

理由はそれだけではない.自分が一人で外出する唯一の機会とも言える買い物の帰り道.夕闇の迫る住宅街の奥に,いつもこの山の頂きが見えていた.

山登りをしていない人にはわからないと思うが,「山は呼ぶ」と言う.この「呼び出し(Calling)」とはどのような事態かといえば,おおむね次のようになる.
"行きたい・行きたくないという本人の意志に関係なく,呼び出されているので,「生きるために」それに従わざるを得ない"
とでも言えばいいだろうか?

今回大山に「呼び出された」かといえば,それはない.むしろ,今は下界にいる自分が,薄っすらと空に浮かぶその頂を見上げて感じていたのは,「朧ではあるが目の前にあって,手が届きそうで届かないものへの憧れ」だ.それは紛れもなく自分の欲求であり,意志だ.したがってそれに基づく行動は「自分の選択」となる.自分は大山を選んだのだ.

今回の自転車行では標高200m近くまで登りあげる.前回の自転車行終点よりも,50mほど高い.ちなみにザック重量は約12kg.前回は自転車で苦労したが,今回はどうなるか?

まず比較的通いなれている足久保川沿いの美和街道を自転車で行く.またもや記憶しているこの道路の印象と異なり,上り坂が多く,長く感じられる.何度も重いスチール製の安物MTBもどきを押し上げつつ,歩かざるをえない.そのたびにタイムロスのプレッシャーが疲労とともに蓄積していく.その日の朝は曇り空で日差しはなかったものの,湿度がたいへん高く,蒸し暑かった.汗だくになるのはもちろんのこと,自転車のボトルホルダーの500mlドリンクは,終点到着のずっと以前に空となった.こうして時間だけでなく,水残量のプレッシャーも加わった.



いくつかの懐かしい風景の中を通過して,終点の口長島に到着.事前にストリートビューで確認したとおり.終点の目印となる電信柱も容易に発見できた.

登山準備が終わり,道路の左手にあった橋を渡る.付近は茶畑で,道は山の麓にある民家へと続いていた.さて…「安倍山系」によると,もう一つ橋を渡ることになっているが,その橋はどこだ?

見渡す限りでは,民家に行くまでの道に橋らしきものはない.どうしたものか?ちょうど民家前の茶畑で,朝早くから農作業している方がいる.おそらくこの民家に住んでいる方なのだろう.尋ねてみるか…

話をしてみると,最初民家の方も,どの橋のことだかわからなかったようだが,話が進むにつれて,それが民家の敷地内にあることがわかった.さらにこの口長島からのルートがあまり利用されていないため,最初の部分がかなりヤブッているとのこと.一番問題なのは,その橋がメンテされておらず,腐っている可能性があるので,場合によっては川まで下って,渡渉する必要があるとのことだった.OKOK,no problem,いつものことだ.住民の方は橋のことでは,自分をかなり心配してくださった.感謝.

お話によると,このルートの利用者は近年かなり減ったため,住民の方が静岡市に申請を出したらしいが,橋の改修をお願いしたのか,ルートの廃止をお願いしたのか,具体的内容は忘れてしまった.いずれにしても市側は「そこは市の管轄下にない」とのことで却下されたそうだ.

確かにこのルートは東海自然歩道(環境省)が含まれるものの,そこに至るまでの登山道は静岡市認定路「みどりの道」でも,その他の認定路でもない.

なるほどさもありなんと思いつつ,お礼を言って,住民の方に別れを告げ,民家の庭先に向かった.庭先に入るとすぐ左側に,2枚の板で作られた橋が,幅4mぐらいの川に渡してあった.


いかにも「通行禁止」を主張しているような横木がされていたものの,パッと見では橋には問題ないようだった.だが油断は禁物だ.念の為ストックで探りを入れながら,慎重に渡ってみる.黒く湿った木橋はギシリとも音をたてずに,自分を渡らせてくれた.

橋を渡り終えるとすぐ,前方に生活道らしい上り坂が見えた.まだ現役で使用されているのか,ここは全くヤブッていない.これは幸先がいい.

振り返ってみると,先程の茶畑でお話した住民の方の小さな姿が見えた.心配しているらしく,こちらをじっと見ている.ありがとうございます,大丈夫です.自分は右手でOKサインを送った.手では小さかったな.ここは両腕で○が正解だ.

生活道を道なりに上っていく.しばらくすると次第に道から生活感がなくなり,ついに予告通り,道は前方のヤブの中に吸い込まれていった.


手袋をはめ,一つ気合を入れた後,突入.久々の本格的藪こぎだ.ありがたいことにヤブの植生は笹ではなく,柔らかめの灌木が主体で,漕いでいてもいたぶられている感じはせず,腕の力もさほどいらない.斜めに倒れた太めの倒木も数本あったが,そのうちの一本には赤テープが巻かれており,以前はまともな道であることを示していた.しかしいったいこれがどこまで続くのか?藪こぎ時にいつもつきまとう不安が,次第に頭をもたげてきた.

が,それは杞憂に終わった.ありがたいことに,ヤブはたったの5分程度で突破することができた.そして目の前には,今までとは打って変わって,穏やかな山道が,杉林の奥へと続いていた.これはありがたい.一安心.

手袋を外し,グッと水を飲んで一息入れた後,道なりに歩き出す.

しばらく上ると意表をついて,しっかりと直立した標柱が出現した.標記された文字も明瞭で現役の面構えだ.つい最近までこの道には需要があったのではないか?


そこから杉林の斜面をジグザグに上っていくと,すぐに支稜線に取り付くことができた.そこで左折するのだが,残念なことに,続く尾根道もやはり見栄えのしない杉林の中だった.

そこから東海自然歩道の合流地点までの約1時間は,延々と変化のない杉林の中を歩いていかねばならない.アクセントは,時折周囲の杉の根本あたりから,ゲッと驚きの声を上げながら飛び立っていく虫ども.


おそらくヒグラシだ.杉林を好み,日中は幹の低いところにいるらしい.夕方でもないのに,左の暗く沈んだ谷底からは,ヒグラシの爽やかな合唱が立ち上ってくる.

ここでの一つの収穫は.アカショウビンらしき「さえずり」を耳にしたことだ.アカショウビンのさえずりを生で聞くのはこれが初めてだが,こんな杉林にもアカショウビンがいるのかと驚いた.夏鳥で,セミを食べるとのことなので,聞き違いでもなさそうだ.録音したので,後で聞き直してみよう.

尾根歩きを開始して1時間経過した頃,中間目標地点であった谷沢・口長島・大山方面分岐点(596m峰)が目の前に現れてくれた.これで一安心.以後は大山山頂付近まで続く,安心安全な天下の東海自然歩道を歩けばいい.


さて,その東海自然歩道を道なりに歩いて行ったのだが,次第に腑に落ちない,奇妙な感覚に囚われ始めた.この道はかつて歩いたことがある.それは間違いない.ところがいくら歩いてみても一向に,その時の記憶が蘇ってこない.少しは覚えていてもいいはずなのに,なぜだろう?

…わかった,逆だ.既視感が強すぎるのだ.静岡市の山ならばどこにでもありそうな,展望のない斜度のある杉林の山道.そよとも風が吹くことのない蒸し暑く薄暗い道.同じような杉林の中を延々と歩いていると,今までの山行の記憶と現実の境が曖昧になってくる.記憶と現実が入り混じってしまう結果,「思い出す」必要はなくなってしまうわけだ.「記憶に絡め取られる認識」とでも言えばいいのだろうか…


それが記憶だろうが,現実だろうが,蒸し暑さに汗をしたたらせつつ,延々と続くモノトーンの,斜度のある杉林をただ登っていく時に,沸き上がってくる感覚は,苦しみでしかない.その苦しみの熱に煮出されて,ふつふつと疑問が湧いてくる.いったい自分はここで何をやっているのだろう?この状況は何なのだろう?まるで…

その時,あの歌のフレーズが浮かんできた.有名なデュエット曲『居酒屋』の一節.
"…絵もない 花もない 歌もない 飾る言葉も 洒落もない…"
「まさにここがそれだ」などと,馬鹿なことを思いついたものだ.今は後悔する.現状追認するこれらのフレーズは,ますます精神力と体力を奪っていくばかりではないか.何のために「山の歌」があるのか!なぜ登山に歌はつきものなのか,このときは忘れていたようだ.

おそらく自分は,「夢見る力」が試されていたのだろう.

砂袋を担いで,校舎の階段を何度も黙々と上り下りするトレーニングを自分はしたことがないが,それに近いトレーニングの経験はある.苦しみに意味があり,それが希望や夢につながると認識できるのであれば,認識できないときよりも苦しみに耐えることはできる.笑うことすらできるだろう.砂袋を担ぐ学生たちも,胸に憧れの頂きを思い描きつつ,単調な上り下りの苦行に耐えているのかもしれない.

大山は自分にとって本当に「憧れの頂き」なのか?自分は大山の頂きを夢見ていたのか?

単調な景色の連続に最初の変化が現れたのは,分岐点から30分ほど歩いたあとだった.


前方の木々が白くかすみ始めた.ガスのベールが杉林を覆い始めたのだ.最初に書いたとおり,大山の印象は,電波塔と展望しか残っていない.展望は自分にとって,今回大山に登る意義の半分以上を占めていたのは事実だ.大山の展望台から自分の住んでいる街を見下ろすことにより,先程述べた「憧れ」が完結するような気がしていた.しかしガスの出現によって,今やその実現は厳しくなってきた.

「夢」が打ち砕かれていくような感覚に襲われる.が,ここでその感覚に打ちひしがれるわけには行かない.そうなってしまえば上りのペースが落ちてしまい,その後の計画実行に支障が発生する.それはいろいろな意味でのリスクを引き寄せてしまう.別の「希望」を探すのだ.

ところが大山は容赦がなかった.これもまた記憶にはなかったのだが,更に標高を上げていくと,登山道は急登の様相を呈してきた.それだけならばよくあることで想定内と言えるだろう.ところが「東海自然歩道」という,「安心のブランド」に対する信頼すらも,ここで裏切られていく.


道の両側から伸びた笹が「トオセンボウ」を始めたのだ.東海自然歩道ならば整備され,当然刈払もされているかと思っていたのが,まったく甘い予断だった.

この時点でいつの間にか杉は姿を消し,周囲は笹一辺倒に塗りつぶされていた.道は一本.突破するしかない.

高湿度の中,自分の周囲を取り囲む笹を押しのけ,かき分けながら,息を切らして直急登を休み休み上っていく.無限分身した笹の群れは,濡れた触手で自分の頬や頭を何度も何度もなでつけてくる.そのたびに露と汗とホコリの入り混じった得体のしれない液体が,皮膚の奥へと刷り込まれていく.濡れてなお燃える身体と筋肉痛に食いつかれた脚.これは苦行ではないのか?いったい何のために?

わからない.答えは出なかった.いや,出しようがなかった.精神が苦しみと単調なリズムに支配され,理性の働く余地などこのときの自分にはなかったのだ.ただ植生の変化と笹の勢いから,目的地の気配だけは感じとっていた.後少しで突破できるはずだ.こうして自分は「苦しみの終わり」に新たな希望を見出していた.


…緑のトンネルを抜けると,薄い光とともに目の前が開け,見覚えのある風景が飛び込んできた.東海自然歩道の案内板とその後ろにそびえ立つ白く霞んだ電波塔.終わった.苦行がついに終わったのだ.

目的地についた達成感よりも,苦しみが終わったことによる安堵のほうが遥かに強かった.とりあえず休憩だ.すぐそばにある展望台へ移動してみるが,その状況は以前と全く違っていた.


展望地のベンチもテーブルも草に埋もれていたのだ.まるで草の海に浮かぶ孤島だ.とりあえずテーブルまで移動し,ザックを下ろし,ベンチに座ってみる.もちろん目の前に期待していた展望はない.真っ白にガスっていて,何も見えない.が,展望はむしろ背の高い草の壁に阻まれていた…

…それから2時間と少しの間,自分はベンチに座りながら,木立の間を流れるガスの様子を眺め,けたたましくさえ感じられる付近の鳥のさえずりを聞きつつ,ボーッとしていた.季節柄,アブやら何やら多数の虫たちがやって来るので,森林香とディートで対処すると,虫たちは概ね自分をそっとしておいてくれた.

気温はだいたい24度ぐらい.風は時折,微風が吹く程度だったが,それでも涼しく感じられた.これでもう少し風があれば,上着を着る必要さえあっただろう.下界は何度ぐらいになるのだろうか?今回はこの涼しさがご褒美といったところか…


時折ふいに,上空から熱い陽光が射してくる.すると一気に周囲の草木が輝きだし,真夏の蒸し暑さが戻ってくる.その時,温度計は30度にもなった.いかにも山らしい気象の変化だ.さて下山するか…

口長島までの下山は,標準的なCTである1.5時間で完了.そこからの自転車行は,下り坂であるにも関わらず,前回同様,下界の蒸し暑さも加わり,苦しいものとなった.帰宅後のダメージ,特に脚は前回以上だった.

こうして苦しみに満ちた大山山行は終了した.そしてその後味として残ったものは,一種の「敗北感」だった.計画時間内に目的地の展望台には到達し,やはり計画時間内に帰宅もできたのだが,自分にとってこの山行は内容的に失敗だった.

反省してみると,今回の山行動機はシンプルではなかった.頂上到達の欲求(憧れ),山行能力の向上(トレーニング),未踏ルート歩行による実力テスト(チャレンジ)が入り混じった複雑な精神機械が山行を駆動していた.今回の山行で学んだことは,「このような複雑で恣意的な精神機械では,想定外の苦難を乗り越えられない可能性がある」ということだった.

本来登山はシンプルな行為であり,目的は通常ならば,頂上到達(と無事下山)となる.頂上は空間的には点を意味し,ブレることはない.キリリとフォーカスを結んだ希望の光点だ.したがって行為の結果もはっきりしている.登頂したか,登頂しなかったか,この2つしかない.

自分は今まで気が付かなかったが,このシンプルさこそが,山行を駆動する原動力だったのだ.山行に至るきっかけが,「自分の選択」であっても,Callingであっても,その輝く光点は変わらない.自分の中にとどまり,やがて自分を導き,鼓舞し,最後には自分の眼前に現れ,この手に触れる小さな力強い光輝.

わかった.ならば今再び闇の底へと沈みゆく自分にこの言葉を贈ろう.
"Mehr Licht !"