2019年8月5日月曜日

口長島→大山(986m)

★概要

  • 日程:2019年7月24日
  • 到着時天候:曇り,大山山頂付近気温:24℃,微風
  • コースタイム
    自宅発4:35→口長島着6:15→休憩・準備10分→同発6:25→口長島登山口6:30→谷沢・口長島・大山方面分岐点(東海自然歩道,569m峰)7:50→大山山頂(展望台)着9:20→休憩2時間10分→同発11:30→谷沢・口長島・大山方面分岐点12:15→口長島登山口13:00→口長島着13:05→休憩5分→同発13:10→自宅着14:30
  • 総行動時間:7.5時間(自転車:1.6+1.4時間、山行:3+1.5時間)
  • 総休憩時間:2.5時間 
  • 総移動距離:44km
  • 最高標高:約970m(大山山頂付近展望台)
  • ルート:松浦理博「安倍山系 中」,大山,ルート②

★写真(168枚)

https://photos.app.goo.gl/Ur15r7USiwv3AmGz5

★動画(8本)


https://www.youtube.com/playlist?list=PL1yL59pLYS3ThSd7kcXBLTo5gFFAKtOIR

★ レポート

"…絵もない 花もない 歌もない 飾る言葉も 洒落もない…"
木の実ナナ&五木ひろし「居酒屋」,作詞:阿久悠

「これは間違いだったのか?」思わずうめき声が漏れた.

確かに前回の山行結果を考慮して,標高は前回の目的地よりも250mほど高く設定した.そしてルートの約60%は未踏の道.悪くないはずだ.しかしこれは何だ?イメージしていたものとはまるで違う.苦行.まるで苦行だ…

* * *

…スタート前の準備.それは前回よりもはるかにスムースだったが,それが「ゆとり」とともに気の緩みを引き起こし,出発は遅れた.4:35.ただ今回は,事前に睡眠を十分にとったため,山行後の睡眠時間確保のプレッシャーはない.行こう.

自分の住んでいる静岡市街.そこから晴れていればいつも見える山がある.富士山ではない.子どもの頃にはよく見えていた富士山の雄姿は,随分前にビル壁によって埋め立てられてしまった.見える山とは,知る人ぞ知る大山(986m).頂上付近にポツッと,ポリープのようにNTT電波塔が見えるので,他の山との見分けは容易だ.

大山は数年前の春に,東海自然歩道の谷沢登山口から登ったことがあるのだが,頂上の巨大な電波塔と,静岡市街まで見渡せる展望以外に印象が残っていない.なぜだろう?その時は突先山(1022m)まで縦走し,大山山頂をほぼ素通りしたからなのか?

「大山山頂」という言葉.これは正確ではない.なぜなら大山山頂986m地点はNTT施設の敷地内にあり,立ち入りが制限されているはずだからだ(ただし未確認).そのため大山登山者は,大山山頂付近の電波塔に隣接する,テーブルとベンチのある展望台付近(標高970m程度)を目的地とすることになるだろう.

今回この大山を選んだ理由の1つは,前回の山行結果から体力を逆算し,トレーニングとチャレンジを両立させうる山と判断したからだった.一度登ったことのある山だが,今回選んだ口長島からのルートは,約60%が未踏の道であるだけでなく,大山の標高が1000m近くあり,前回の道白山より250mほど高いため,達成モチベーションを維持しやすいと判断した.

理由はそれだけではない.自分が一人で外出する唯一の機会とも言える買い物の帰り道.夕闇の迫る住宅街の奥に,いつもこの山の頂きが見えていた.

山登りをしていない人にはわからないと思うが,「山は呼ぶ」と言う.この「呼び出し(Calling)」とはどのような事態かといえば,おおむね次のようになる.
"行きたい・行きたくないという本人の意志に関係なく,呼び出されているので,「生きるために」それに従わざるを得ない"
とでも言えばいいだろうか?

今回大山に「呼び出された」かといえば,それはない.むしろ,今は下界にいる自分が,薄っすらと空に浮かぶその頂を見上げて感じていたのは,「朧ではあるが目の前にあって,手が届きそうで届かないものへの憧れ」だ.それは紛れもなく自分の欲求であり,意志だ.したがってそれに基づく行動は「自分の選択」となる.自分は大山を選んだのだ.

今回の自転車行では標高200m近くまで登りあげる.前回の自転車行終点よりも,50mほど高い.ちなみにザック重量は約12kg.前回は自転車で苦労したが,今回はどうなるか?

まず比較的通いなれている足久保川沿いの美和街道を自転車で行く.またもや記憶しているこの道路の印象と異なり,上り坂が多く,長く感じられる.何度も重いスチール製の安物MTBもどきを押し上げつつ,歩かざるをえない.そのたびにタイムロスのプレッシャーが疲労とともに蓄積していく.その日の朝は曇り空で日差しはなかったものの,湿度がたいへん高く,蒸し暑かった.汗だくになるのはもちろんのこと,自転車のボトルホルダーの500mlドリンクは,終点到着のずっと以前に空となった.こうして時間だけでなく,水残量のプレッシャーも加わった.



いくつかの懐かしい風景の中を通過して,終点の口長島に到着.事前にストリートビューで確認したとおり.終点の目印となる電信柱も容易に発見できた.

登山準備が終わり,道路の左手にあった橋を渡る.付近は茶畑で,道は山の麓にある民家へと続いていた.さて…「安倍山系」によると,もう一つ橋を渡ることになっているが,その橋はどこだ?

見渡す限りでは,民家に行くまでの道に橋らしきものはない.どうしたものか?ちょうど民家前の茶畑で,朝早くから農作業している方がいる.おそらくこの民家に住んでいる方なのだろう.尋ねてみるか…

話をしてみると,最初民家の方も,どの橋のことだかわからなかったようだが,話が進むにつれて,それが民家の敷地内にあることがわかった.さらにこの口長島からのルートがあまり利用されていないため,最初の部分がかなりヤブッているとのこと.一番問題なのは,その橋がメンテされておらず,腐っている可能性があるので,場合によっては川まで下って,渡渉する必要があるとのことだった.OKOK,no problem,いつものことだ.住民の方は橋のことでは,自分をかなり心配してくださった.感謝.

お話によると,このルートの利用者は近年かなり減ったため,住民の方が静岡市に申請を出したらしいが,橋の改修をお願いしたのか,ルートの廃止をお願いしたのか,具体的内容は忘れてしまった.いずれにしても市側は「そこは市の管轄下にない」とのことで却下されたそうだ.

確かにこのルートは東海自然歩道(環境省)が含まれるものの,そこに至るまでの登山道は静岡市認定路「みどりの道」でも,その他の認定路でもない.

なるほどさもありなんと思いつつ,お礼を言って,住民の方に別れを告げ,民家の庭先に向かった.庭先に入るとすぐ左側に,2枚の板で作られた橋が,幅4mぐらいの川に渡してあった.


いかにも「通行禁止」を主張しているような横木がされていたものの,パッと見では橋には問題ないようだった.だが油断は禁物だ.念の為ストックで探りを入れながら,慎重に渡ってみる.黒く湿った木橋はギシリとも音をたてずに,自分を渡らせてくれた.

橋を渡り終えるとすぐ,前方に生活道らしい上り坂が見えた.まだ現役で使用されているのか,ここは全くヤブッていない.これは幸先がいい.

振り返ってみると,先程の茶畑でお話した住民の方の小さな姿が見えた.心配しているらしく,こちらをじっと見ている.ありがとうございます,大丈夫です.自分は右手でOKサインを送った.手では小さかったな.ここは両腕で○が正解だ.

生活道を道なりに上っていく.しばらくすると次第に道から生活感がなくなり,ついに予告通り,道は前方のヤブの中に吸い込まれていった.


手袋をはめ,一つ気合を入れた後,突入.久々の本格的藪こぎだ.ありがたいことにヤブの植生は笹ではなく,柔らかめの灌木が主体で,漕いでいてもいたぶられている感じはせず,腕の力もさほどいらない.斜めに倒れた太めの倒木も数本あったが,そのうちの一本には赤テープが巻かれており,以前はまともな道であることを示していた.しかしいったいこれがどこまで続くのか?藪こぎ時にいつもつきまとう不安が,次第に頭をもたげてきた.

が,それは杞憂に終わった.ありがたいことに,ヤブはたったの5分程度で突破することができた.そして目の前には,今までとは打って変わって,穏やかな山道が,杉林の奥へと続いていた.これはありがたい.一安心.

手袋を外し,グッと水を飲んで一息入れた後,道なりに歩き出す.

しばらく上ると意表をついて,しっかりと直立した標柱が出現した.標記された文字も明瞭で現役の面構えだ.つい最近までこの道には需要があったのではないか?


そこから杉林の斜面をジグザグに上っていくと,すぐに支稜線に取り付くことができた.そこで左折するのだが,残念なことに,続く尾根道もやはり見栄えのしない杉林の中だった.

そこから東海自然歩道の合流地点までの約1時間は,延々と変化のない杉林の中を歩いていかねばならない.アクセントは,時折周囲の杉の根本あたりから,ゲッと驚きの声を上げながら飛び立っていく虫ども.


おそらくヒグラシだ.杉林を好み,日中は幹の低いところにいるらしい.夕方でもないのに,左の暗く沈んだ谷底からは,ヒグラシの爽やかな合唱が立ち上ってくる.

ここでの一つの収穫は.アカショウビンらしき「さえずり」を耳にしたことだ.アカショウビンのさえずりを生で聞くのはこれが初めてだが,こんな杉林にもアカショウビンがいるのかと驚いた.夏鳥で,セミを食べるとのことなので,聞き違いでもなさそうだ.録音したので,後で聞き直してみよう.

尾根歩きを開始して1時間経過した頃,中間目標地点であった谷沢・口長島・大山方面分岐点(596m峰)が目の前に現れてくれた.これで一安心.以後は大山山頂付近まで続く,安心安全な天下の東海自然歩道を歩けばいい.


さて,その東海自然歩道を道なりに歩いて行ったのだが,次第に腑に落ちない,奇妙な感覚に囚われ始めた.この道はかつて歩いたことがある.それは間違いない.ところがいくら歩いてみても一向に,その時の記憶が蘇ってこない.少しは覚えていてもいいはずなのに,なぜだろう?

…わかった,逆だ.既視感が強すぎるのだ.静岡市の山ならばどこにでもありそうな,展望のない斜度のある杉林の山道.そよとも風が吹くことのない蒸し暑く薄暗い道.同じような杉林の中を延々と歩いていると,今までの山行の記憶と現実の境が曖昧になってくる.記憶と現実が入り混じってしまう結果,「思い出す」必要はなくなってしまうわけだ.「記憶に絡め取られる認識」とでも言えばいいのだろうか…


それが記憶だろうが,現実だろうが,蒸し暑さに汗をしたたらせつつ,延々と続くモノトーンの,斜度のある杉林をただ登っていく時に,沸き上がってくる感覚は,苦しみでしかない.その苦しみの熱に煮出されて,ふつふつと疑問が湧いてくる.いったい自分はここで何をやっているのだろう?この状況は何なのだろう?まるで…

その時,あの歌のフレーズが浮かんできた.有名なデュエット曲『居酒屋』の一節.
"…絵もない 花もない 歌もない 飾る言葉も 洒落もない…"
「まさにここがそれだ」などと,馬鹿なことを思いついたものだ.今は後悔する.現状追認するこれらのフレーズは,ますます精神力と体力を奪っていくばかりではないか.何のために「山の歌」があるのか!なぜ登山に歌はつきものなのか,このときは忘れていたようだ.

おそらく自分は,「夢見る力」が試されていたのだろう.

砂袋を担いで,校舎の階段を何度も黙々と上り下りするトレーニングを自分はしたことがないが,それに近いトレーニングの経験はある.苦しみに意味があり,それが希望や夢につながると認識できるのであれば,認識できないときよりも苦しみに耐えることはできる.笑うことすらできるだろう.砂袋を担ぐ学生たちも,胸に憧れの頂きを思い描きつつ,単調な上り下りの苦行に耐えているのかもしれない.

大山は自分にとって本当に「憧れの頂き」なのか?自分は大山の頂きを夢見ていたのか?

単調な景色の連続に最初の変化が現れたのは,分岐点から30分ほど歩いたあとだった.


前方の木々が白くかすみ始めた.ガスのベールが杉林を覆い始めたのだ.最初に書いたとおり,大山の印象は,電波塔と展望しか残っていない.展望は自分にとって,今回大山に登る意義の半分以上を占めていたのは事実だ.大山の展望台から自分の住んでいる街を見下ろすことにより,先程述べた「憧れ」が完結するような気がしていた.しかしガスの出現によって,今やその実現は厳しくなってきた.

「夢」が打ち砕かれていくような感覚に襲われる.が,ここでその感覚に打ちひしがれるわけには行かない.そうなってしまえば上りのペースが落ちてしまい,その後の計画実行に支障が発生する.それはいろいろな意味でのリスクを引き寄せてしまう.別の「希望」を探すのだ.

ところが大山は容赦がなかった.これもまた記憶にはなかったのだが,更に標高を上げていくと,登山道は急登の様相を呈してきた.それだけならばよくあることで想定内と言えるだろう.ところが「東海自然歩道」という,「安心のブランド」に対する信頼すらも,ここで裏切られていく.


道の両側から伸びた笹が「トオセンボウ」を始めたのだ.東海自然歩道ならば整備され,当然刈払もされているかと思っていたのが,まったく甘い予断だった.

この時点でいつの間にか杉は姿を消し,周囲は笹一辺倒に塗りつぶされていた.道は一本.突破するしかない.

高湿度の中,自分の周囲を取り囲む笹を押しのけ,かき分けながら,息を切らして直急登を休み休み上っていく.無限分身した笹の群れは,濡れた触手で自分の頬や頭を何度も何度もなでつけてくる.そのたびに露と汗とホコリの入り混じった得体のしれない液体が,皮膚の奥へと刷り込まれていく.濡れてなお燃える身体と筋肉痛に食いつかれた脚.これは苦行ではないのか?いったい何のために?

わからない.答えは出なかった.いや,出しようがなかった.精神が苦しみと単調なリズムに支配され,理性の働く余地などこのときの自分にはなかったのだ.ただ植生の変化と笹の勢いから,目的地の気配だけは感じとっていた.後少しで突破できるはずだ.こうして自分は「苦しみの終わり」に新たな希望を見出していた.


…緑のトンネルを抜けると,薄い光とともに目の前が開け,見覚えのある風景が飛び込んできた.東海自然歩道の案内板とその後ろにそびえ立つ白く霞んだ電波塔.終わった.苦行がついに終わったのだ.

目的地についた達成感よりも,苦しみが終わったことによる安堵のほうが遥かに強かった.とりあえず休憩だ.すぐそばにある展望台へ移動してみるが,その状況は以前と全く違っていた.


展望地のベンチもテーブルも草に埋もれていたのだ.まるで草の海に浮かぶ孤島だ.とりあえずテーブルまで移動し,ザックを下ろし,ベンチに座ってみる.もちろん目の前に期待していた展望はない.真っ白にガスっていて,何も見えない.が,展望はむしろ背の高い草の壁に阻まれていた…

…それから2時間と少しの間,自分はベンチに座りながら,木立の間を流れるガスの様子を眺め,けたたましくさえ感じられる付近の鳥のさえずりを聞きつつ,ボーッとしていた.季節柄,アブやら何やら多数の虫たちがやって来るので,森林香とディートで対処すると,虫たちは概ね自分をそっとしておいてくれた.

気温はだいたい24度ぐらい.風は時折,微風が吹く程度だったが,それでも涼しく感じられた.これでもう少し風があれば,上着を着る必要さえあっただろう.下界は何度ぐらいになるのだろうか?今回はこの涼しさがご褒美といったところか…


時折ふいに,上空から熱い陽光が射してくる.すると一気に周囲の草木が輝きだし,真夏の蒸し暑さが戻ってくる.その時,温度計は30度にもなった.いかにも山らしい気象の変化だ.さて下山するか…

口長島までの下山は,標準的なCTである1.5時間で完了.そこからの自転車行は,下り坂であるにも関わらず,前回同様,下界の蒸し暑さも加わり,苦しいものとなった.帰宅後のダメージ,特に脚は前回以上だった.

こうして苦しみに満ちた大山山行は終了した.そしてその後味として残ったものは,一種の「敗北感」だった.計画時間内に目的地の展望台には到達し,やはり計画時間内に帰宅もできたのだが,自分にとってこの山行は内容的に失敗だった.

反省してみると,今回の山行動機はシンプルではなかった.頂上到達の欲求(憧れ),山行能力の向上(トレーニング),未踏ルート歩行による実力テスト(チャレンジ)が入り混じった複雑な精神機械が山行を駆動していた.今回の山行で学んだことは,「このような複雑で恣意的な精神機械では,想定外の苦難を乗り越えられない可能性がある」ということだった.

本来登山はシンプルな行為であり,目的は通常ならば,頂上到達(と無事下山)となる.頂上は空間的には点を意味し,ブレることはない.キリリとフォーカスを結んだ希望の光点だ.したがって行為の結果もはっきりしている.登頂したか,登頂しなかったか,この2つしかない.

自分は今まで気が付かなかったが,このシンプルさこそが,山行を駆動する原動力だったのだ.山行に至るきっかけが,「自分の選択」であっても,Callingであっても,その輝く光点は変わらない.自分の中にとどまり,やがて自分を導き,鼓舞し,最後には自分の眼前に現れ,この手に触れる小さな力強い光輝.

わかった.ならば今再び闇の底へと沈みゆく自分にこの言葉を贈ろう.
"Mehr Licht !"


2019年6月25日火曜日

則沢→道白山(724m)

★概要

  • 日程:2019年6月20日
  • 到着時天候:曇り,道白山山頂気温:20℃,ほぼ無風
  • コースタイム
    自宅発4:15→則沢公衆トイレ着5:40→休憩10分→同発5:50→則沢登山口着6:05→登山届提出10分→同発6:15→道白山登山口(林道則沢線終点)着7:40→竜爪山-道白山間コル着8:15→720m超無名峰着8:25→道白山(標高742m)山頂着8:40→休憩・撮影等1時間20分→同山頂発10:00→道白山登山口着10:30→則沢登山口着11:40→則沢公衆トイレ着11:55→休憩5分→同発12:00→自宅着13:00
  • 総行動時間:7時間(自転車:1.5+1時間、山行:2.5+2時間)
  • 総休憩時間:2時間 
  • 総移動距離:40km
  • 最高標高:724m(道白山)
  • ルート:松浦理博「安倍山系 上」,道白山ルート①&③

★写真(141枚)

https://photos.app.goo.gl/Xxg97VE428mbTxTq8

★動画(27本)


★ レポート

"暗闇に一条の陽光が射し込んだとき、闇の中にずっとうずくまっていた彼は、それを目指して全力で走り出したのだった…"

諸事情により,低山すら登ることができなくなってから1年半.とうの昔に山行のための時間捻出は物理的に不可能となり,山行のための装備の整備,筋トレなどの努力は意味を失い,やめてしまった.山行はおろか,すでに何をする気力も意志も時間も,自分には残されてはいない.

それでも唯一の一人外出の機会となる買い物の行き帰りに,住宅街の上に広がる澄んだ空を見上げては,白雲の形をなぞり、時折何処からか聞こえる野鳥のさえずりに耳を澄ましては、かつての山行の記憶を反芻していた.まるで一匹のゾンビが,人間だった頃の記憶に浸りながら自らを慰めているかのような…どうしようもない悲惨が際限もなく続く日常…

ところが突如として,その永遠の闇夜は裂ける.与えられたその自由時間は24時間.ただし内6時間は私事・雑用に費やすため,実質,白紙の時間は18時間.その中には睡眠時間も含まれる.

精神的にも肉体的にも数年分の疲労が蓄積している自分には,与えられたその時間を完全休養に当て,疲弊した自分をある程度リカバーさせることも可能だったのだろう.否,理性的に考えれば明らかにそうすべきだったに違いない.

しかし理性の導き出したその回答が,わずかに残された「生命の天然」を押しつぶすのであれば,その休養によって得られるのは「ゾンビの休息」に過ぎず,ゾンビはゾンビのままだ.ゾンビが人間に戻るためには,「生命の天然」に一度着火し,燃え上がるその炎でゾンビの腐肉を焼き尽くし,焼死体として葬り去る必要があるのではなかろうか?

…本当だろうか?本当に,その焼死体の中から,「生きた人間」が立ち現れてくるのか?そこには「完全なる死」が待っているだけではないのか?

…わからない…それはわからない…

しばらくぶりに一人で夕食を食べる.その後,雑用などをこなして22時頃になると,傍らにあった空の50リッターザックへと勝手に手が伸びた.ほどなくして,ホコリを被ったダンボールを押し入れから引き出し,箱の中に山行記憶とともに仕舞い込んだ山装備の数々を取り出した.無言のまま,ザックへのパッキングが始まる.なるほど自分は山に行くのだろう.しかしいったいどこへ?

まず最初に思い浮かんだのは,丸子アルプス縦走.徳願寺山ハイキングコースを起点にして,徳願寺山の仏平から連なる標高400mぐらいの低山の尾根筋を,時間が許す限り縦走するというもの.丸子アルプスならば,これまで何度も歩いたことがあるので,準備の全くできていない自分でも安全に山行できるし,そもそも危険箇所がない.おそらく負荷も弱いので,例によって一種の「訓練行」になるだろう.

訓練行?…それは違う…それではだめなんだ.今求めているのは「安全なテスト行」だ.

現在の肉体的精神的能力の限界を,単独行の安全を確保しつつ確かめたい.自分の今の限界が分かれば,「次=未来」につながっていくではないか!今は未来をつかみたい.

自分が今まで慣れ親しんでいるルートをできるだけ使って,まだ踏んだことのない未知の山頂を目指すのはどうか?それならば安全とチャレンジを両立できる.そんな山がいくつかあった気がする…おそらく竜爪山周辺の山だ…

早速,いつもの松浦理博著「安倍山系 上」を紐解いてみる.すると,おあつらえ向きの個人未踏峰があるではないか.

道白山(724m)

道白山は竜爪山文珠岳の隣りにある山で,文珠岳の則沢ルートの途中にも,道白山への分岐路があり(現在は廃道),その分岐点には,江戸時代のものだろうか,古い石標が今も立っている.



また「安倍山系 上」の当該箇所には,「道白堂」という名称のお堂が,その地域にあると記されていることから,その分岐路は道白山登山道というよりも,そのお堂を目指す参道のようなものだったのかもしれないが,詳細は不明だ.いずれにしても,おそらくこの「道白堂」が,「道白山」という呼称の由来なのだろう.

道白山登山ルートの1つは,則沢登山口から始まる.この登山口から竜爪山文珠岳(1041m)には何度も登ったことがあり,夜間ハイクの経験もある.

このルートをピストンするならば,慣れた登山道が全ルートの約80%,残り20%が自分にとって未知の登山道となり,テスト行としてプロポーションが良いように感じられた.標高も724mあり,それなりの満足が得られるのではないか?

頭の中で行動時間をざっと計算すると,自転車が2時間,山行が4時間となった.休憩時間を2時間として,合計8時間.これならば仮にアクシデントが発生してもタイムリミットまでには帰宅できるだろう.

今回の自由時間には睡眠時間が含まれている.そのため帰宅時間により,その日の睡眠時間が決定される.山行後の疲労を考慮すると,睡眠時間は最低5時間は確保したい.ならば帰宅のタイムリミットは午前11時,さらに逆算して出発予定時刻は午前3時となる.悪くないスタート時間だ.

そして出発.午前4時15分.パッキングになんと4時間もかかってしまった.その上,紙資料スキャンとスマホへのダウンロード,GPSロガーアプリ「山旅ロガーGOLD」への地図のダウンロード,モバイルバッテリーの充電,充電ケーブルの準備,スペシャルドリンク3リッターの作成,アクションカムの設定と操作の復習,そして一番時間のかかった紛失装備の家探しなど,結局パッキングを含めて準備に6時間もかかったのは,自分事ながら呆れてしまった.山行そのものよりも,山行準備の慣れに思いが至らなかった.段取りもかなり忘れている…

ちなみに今回の水携行量(飲料水・生活水)はザックのハイドロに2000ml,サイドポケットに500ml x 2,自転車のホルダーに500ml x 1 の3.5リッター.この季節にしてはやや多めの設定だが,それはもちろん,弱体化した自分の発汗量が以前よりも多くなっており,また湿度が高く,風の通らない杉林の中を歩くからだ.ザックの基本重量が8kg程度なので,ザックの総重量は11kg程度になる.

すでに夜が明け始め,薄曇りの空が明るくなっていた.これはまずい,急ごう.

時計のストップウォッチと山旅ロガーGOLDのGPSログをスタートさせた.まずは自転車で則沢の公衆トイレへ.必要となるはずもない決意を込めて踏み込んだ,そのペダルは重い.緊張しているのか?生唾を飲む.


即沢までは何度も通っている道なのでナビは必要ないと思っていたのだが,途中で近道を試みたところ,見知らぬ住宅街に迷い込んでしまった.方向感覚も失われているのか?頼みの綱,Googleマップにより迷路を脱出.ロスタイムは15分程度.

山が近づくにつれて,標高は上がり,道は上り坂となっていく.斜度があまりにも厳しいところは,無理せず自転車を押すことにしているが,通い慣れている道ではあるので,だいたいどこで自転車を押すべきかは決まっている.ところが今回は自転車慣れしていないためだろうか,自転車を押す箇所が以前よりも多かったように思う.こうして結果的には,則沢公衆トイレまでの1.5時間の間に,水500mlが費やされることとなった.

則沢公衆トイレの標高は150mでしかない(ちなみに自宅の標高は14m).以前はこれほど時間を費やすことも,疲労感が伴うこともなかったはず.前途多難の予感だ…

…そしてその予感は的中した.なんと則沢公衆トイレから則沢登山口までの舗装された林道の歩行に四苦八苦.全く以前とは比べ物にならないきつさだ.これはなんとしたことか.

車が来ないことをいいことに「つづらのぼり」,さらに「はさみあし」などを駆使して歩かざるを得なかった.これでは前途多難どころではない.撤退も覚悟せねば…

則沢登山口には登山届のポストがある.これは数年前までは設置されておらず,自分にとっては比較的最近,突如として出現した異物といった感覚だ.近年,竜爪登山で遭難事故が起きていると耳にしているので,おそらくそのために設けられたのだろう.しかしこのポストには,届け出用紙や筆記用具の類はなかった.やむを得ず持参した筆記用具でメモに計画概要を走り書きして,ポストに突っ込む.


登山口そばにある階段を登ると,すぐに茶畑が現れる.懐かしさを感じつつ,山行の始まりを肌で感じた.

茶畑を横切ると,道はすぐに薄暗い林の中に入り,上りの傾斜が始まった.記憶の中ではここはまだ平坦なはず.記憶と現実の食い違いに戸惑いながら,この程度の上り坂ですらつらく感じる自分の現状に,ある種の「おそろしさ」を感じた.この「厳しさ」がこれから先も続くようならば,おそらく道白山頂上には予定時間内に辿り着けそうもない.計画は早くも崩れかけているのか?いや,まだわからない.以前も最初はかなりしんどいが徐々に調子が出てくることもあった.逆に調子が悪くなった経験もあるが,それは極めて「まれ」だ.

おそらくこの辛さのせいなのだろう.このルートにはいくつか節目となるポイントがあるのだが,歩いても歩いても,そのポイントがなかなか現れてくれない.肉体的苦痛に加えて,認知的不協和.山行を楽しむどころではない.


更に進むと,またしても記憶と食い違う箇所が出てきた.

長く細くザレた道…

たしかに以前歩いた時もザレた道は多々あり,その山側には歩行補助のトラロープが留置されていた.これが単なる記憶ちがいなのか,それとも近年実際にザレが増えたのかはわからないが,道がより細くなり,ザレている箇所が長くなった気がする.

ザレ場を慎重に進み,いくつかの水場も通り過ぎた.これは季節のためなのかもしれないが,以前よりもそれぞれの水場の水量が多くなったような気がする.特に上部が滝のようになっている小さな沢渡渉は,全く記憶にない.


やがてこのルートの中では印象的な,ロープで数m下降する場所に出た.ロープ場自体に変化はなかったが,降り立ったその付近の様子は明らかに記憶と異なっていた.
以前あった腐りかけた木橋がなくなり,その場所の両側にはトラロープが張られていた.確かに腐った橋をわたるよりも,直接岩場を渡ったほうが安全なのかもしれない.

しばらく則沢川沿いの道を歩き,モノラックレールをまたぎ越した後、皆が休憩場として使用していると思われる,落ち着いた広い沢岸に出た.向こう岸に渡るための丸太一本橋も以前と変わりがなく,補助なのか,罠なのかわからない,テンションの抜けたフニャフニャのトラロープもそのままだ.


丸太橋を渡り少し登ると,このルートでは有名な2本の木,この森の主たちが出迎えてくれた.この木に関しては全く記憶通りで,一切変化していないように見える.主たちにとって数年の経過などは、ものの数ではないのだろう.


主たちを後にしてさらに先へ進むと,そこは静かな杉林となる.再び現れた丸太一本橋&トラロープで沢の対岸に渡り返した頃から,朝日の斜光が林の中に差し込んできた.天気の好転を期待する.

しばらくしてT字分岐点に到着.すぐに以前にはなかった注意看板が目をひいた.この看板は市岳連により設置されたもので,内容はここから分岐する中電巡視路(作業道)の注意喚起だ.自分はこの巡視路も歩いたことがあるので,この注意はさもありなんと納得した.

数年前にこの巡視路を歩いたとき,たぶん秋だったかと思うが,渡渉する岩場のような場所があった.流れ落ちる水に濡れて滑りやすい岩の上を歩き,さらに上り下りしなければならないその周囲の岩には,これまた濡れた枯れ葉がびっしりと厚く覆っていた.しかも谷側は切れ落ちており,滑れば即アウトな場所だった.トラロープが張られ,板もなんとか渡してあったが,かなりの緊張を強いられた.そこから先にも,倒木帯,高巻きができそうにない崩落地,消失する山道などもあった.今はどうなっているのだろうか?

その後,鉄橋・木橋を渡ると,程なく林道即沢線終点に出た.


そこにはこれまた,以前にはなかった登山届ポストと「道白山口」という標識があった.この標識も静岡市と市岳連がつけたもの.乗用車でここまで来て文珠岳を目指す人もわりといるのだろうか?確かに則沢登山口と比較してコチラのほうが駐車スペースも広いし,直ぐそばにキレイな水場もある.そういえば先ほど渡った木橋も真新しく,最近新調されたようだ.おそらくザレた道を歩かねばならない則沢登山口よりも,より楽に文珠岳に登れるこちらの登山口の方が需要が増えているに違いない.となると,自分がここまで歩いてきた則沢口から道白山口までのルートは.他の山同様,必然的に廃道化が進んでいく事になるだろう…


道白山山頂に向かうため,この林道終点の奥から始まる山道を登っていく.この登山道(中電巡視路?)も,自分は以前,文珠岳登山のために歩いたことがある.ケルンが所々に積まれている歩きやすい山道を登っていくと,分岐点が出てくる.そこをさらに直進すると,尾根に取り付くための急登が始まる.道がつづらになっているのはありがたい.急登を上り切り,尾根に取り付くとそこは,文珠岳と道白山の間のコルだ.

自分の歩いた経験のある道はここまで.ここから先,道白山までの道は,自分にとって未踏の登山道だ.この未踏道は「安倍山系 上」の記述では,2007年の時点で「良道」と記されていた.そして行く手には,どうやら展望地もあるようで,期待も高まる.

コルからの登り始めは良かった.ところが登るに連れて,だんだん道の両側の笹が背丈を増していき,ついには笹の波が両側から道に覆いかぶさるようになってきた.藪こぎというほどではないが,手を使って笹を払う必要があり,歩きにくい.

ガサガサと音を立てつつ,朝露に濡れながら坂を登っていくと,中電駿河東清水線8番鉄塔が頭上にヌッと現れた.ここでヤブは笹からススキへ継投.高圧線鉄塔にススキはつきものだが,季節が季節なだけに,ススキがなかなか手強い.



緑に取り囲まれたまま振り向くと,雲に頭を隠した竜爪山,そこから若山に向かって尾根が続いているのが見えた.天候が薄曇りなのでスカッとはしないが,この季節特有の水墨画的風景は,荒れる自分の呼吸を整えてくれた.水を飲もう.

高圧線鉄塔脇を過ぎたあたりから,道はようやく落ち着きを取り戻し,踏まれている感じが出てきた.どうやら中電巡視路として使用されているようだ.先程のコルから鉄塔までのヤブっぽい尾根道は,手前に急登もあり遠回りなので,おそらく作業道としては現在使用されていないのだろう.

ホトトギスの鳴き声があたりに響いている.初めて生で聞くその声は想像より大きく,自分の接近もあまり気にしていないようだった.


すぐに720m超峰に到着.ススキが伸びていないければ展望地となるのだろう,丸太ベンチが設置されている.現在はススキの上に少しだけ,白くけぶった山々が薄っすらと亡霊のように浮かんで見えるだけだ.

そのピークを乗り越し,再び杉林に突入.一旦下り,コルから上りかえすと,再度ピークを迎えた


その道の傍らには「724m峰」と表記された私製標識.

「7・2・4…『道白山』はどこだ…」

いや,明らかにここが道白山山頂だ.だが周囲を探してみても,結局,道白山表記の山名標は見つからなかった.昭和62年に私製山名標をここに設置した方々はおそらく,国土地理院の地形図に山名が記載されていなかったため,この表記を採用したのだろう.ここには三角点もない.

道白山の頂きは背の高い杉林の中にあり,当然展望は全くないのだが,数名が休憩するぐらいのスペースはある.とりあえずこれまでさんざん見飽きた杉林の幹でも眺めながら,小休憩をとるとしよう.

時計を見やれば,時間は8:40.則沢公衆トイレを出発してから3時間経過している.つまり600m登り上げるのに,なんと3時間もかかったことになる.竜爪山文珠岳を目指していたら,4.5時間はかかっていたことだろう.思っていたより体力が低下している…

…となるとおそらく下山は2時間ぐらいかかるだろうから,今すぐに下山を開始したとしても,帰宅は正午,帰宅後何もせず,すぐに寝るとして睡眠時間は4時間となる.4時間か…

…それでも4時間の甘い睡眠は魅惑的に感じられた.以前のように山頂で1時間以上休憩すれば,睡眠は3時間以下となり,その後の生活はかなり厳しい.しばらくの間,休憩の準備もせずに迷っていた.今すぐ下山し,自宅での睡眠を取るか…それとも睡眠を削り,山頂での休憩を取るか…

そして結論は出た.一旦結論が出てしまうと,それまで迷っていたこと自体が時間と精神の無駄遣いであり,馬鹿らしくさえ思えてきた.今の自分にとって,山の時間は希少な宝石なのだ.光と生命の時間なのだ.闇に急いで戻ることはない.どこにでも転がっている睡眠(もちろんそれも大切なのだが)の快楽は,後回しでもよいのではないか.おそらくもう二度とここには来ないのだから…


ザックを開き,休憩の準備を開始する.いつもと同じ休憩行動パターンだったが,一つだけ異なっていた.食事をしなかったのだ.いつも目的地に達した後は,行動食ではなく,別に食事をとっていたのだが,今回は食欲が無い.そもそも行動食自体もここまであまり食べてこなかった.これは何を意味するのか?体調が悪いのか?

実は則沢登山口から登り始めて,しばらくしてから軽い頭痛が始まっており,標高とともに痛みを増していた.最初に感じた肉体的厳しさは逆に,歩行が進むに連れておさまっていったにもかかわらずだ.まさかこの標高で高山病でもあるまいに…だとすると低血糖なのか?いずれにしても,展望どころかまともな空すらもない杉林のど真ん中での唯一の楽しみは,食事ぐらいになのに,食欲が無いとは…

ところが意外なことに,実はこの山頂での休憩には,食事以外のお楽しみがあったのだ.それは鳥のさえずりだ.ホトトギスやウグイスをはじめ,名も知らない様々な鳥たちが,頭上に広がる周囲の梢でさえずっている.入れ代わり立ち代わりやってくるその鳥たちの歌に耳を澄ませていると,美しい何かが心に充足されていくのを感じた.癒やされたのだ.

結果的には山頂には1時間20分もとどまってしまった.時間感覚がおかしくなっている自分には,この休憩はむしろ普段より短く感じられたが,とにかく下山だ.サヨウナラ

下山ルートは計画を変更し,例のヤブっぽい尾根道を避け,高圧線鉄塔にあった分岐点で左に曲がり,樹脂製階段が埋め込まれた快適な中電巡視路を下った.


別段何のトラブルもなく,約2時間で下山し,則沢公衆トイレに到着.ちょうどこのときハイドロの2リッターを飲み終えた.後は自転車に乗って「生きて」帰宅するだけだ.だが油断してはならない.帰路の車道は下り坂が多く,スピードが出やすい.楽をしていると痛い目にあう.最悪サヨウナラだ.

そして実際,楽はできなかった.ここまでに蓄積された肉体的疲労と,復活してしまった日差しと蒸し暑さが,肉体というよりは精神にこたえたのだ.自転車が平地に入って下り坂がなくなると,息を切らし,汗を滴らせ,時には歯を食いしばり呻きながら,ペダルを踏みこむシーンが長く続いた.今思えば,その時も食欲がなく,行動食すらろくに食べていなかったので,これは一種のシャリバテだったのかもしれない.

帰宅したのは13時.すぐに眠れば3時間睡眠となるが,身体が内と外から焼けてしまい,暑くて入眠できない.諦めて風呂に入り,そのまま道具の片付けなどをして,その後1.5時間ほど眠ることにした.

その日から数日が経過すると,再び自分は闇の中に沈静していった.結局自分は人間に戻ることはできなかった.今や悲惨が再び生活全体を覆っている.ただ,こうしてレポートをまとめる作業は,自分の心の中に小さな幻燈を灯すことにほかならない.それによって「ほのかに明るいゾンビ」になることはできたようだ.そしてあと一つ…

以前と同じように買い物に外出するたびに周囲の町並みを見,そして硬いアスファルトの道路を見るのだが,そのたびに強い違和感を覚えるようになった.

"この道は,なぜこんなにも無表情なのか?一辺倒なのか?

あの時,自分を飲み込み消化しようと迫ってきたヤブの,あの圧倒的な「生命力」はいったいどこにあるのか?

人間の欲望に基づいて敷設された,効率と生産性が支配する単調な灰色の直線.これは言わば,平坦な,顔のない「死」だ."