★概要
- 日程:2017年10月10日
- 天候:曇り,梵天山山頂気温:19℃
- コースタイム:
自宅発1:05→徳願寺山門前(標高121m)着2:00→徳願寺ハイキングコース登山口着2:10→休憩5分→徳願寺ハイキングコース登山口発2:15→徳願寺山(標高352m)展望台(山頂)着2:45→休憩5分→徳願寺山展望台発2:50→梵天山(標高376m)山頂着3:05→歓昌院坂(標高171m)着3:40→休憩15分→歓昌院坂発3:55→梵天山山頂着4:25→徳願寺山展望台(山頂)着4:45→徳願寺ハイキングコース登山口着5:05→休憩5分→徳願寺ハイキングコース登山口発5:10→自宅着6:15 - 総行動時間:4.5時間
- 総休憩時間:30分
- 総移動距離:17km
- 最高標高:376m(梵天山)
★写真(35枚)
https://photos.app.goo.gl/UHE8jme4Jk5JgkKm1★ レポート
2017年10月5日.BS1スペシャル「幻の山カカボラジ 全記録~アジア最後の秘境を行く~」視聴.
この番組は,以前放送された「幻の山カカボラジ ~アジア最後の秘境を行く~」の完全版に当たる番組で,放送時間は以前の50分から110分に延長されている.
この番組は,以前放送された「幻の山カカボラジ ~アジア最後の秘境を行く~」の完全版に当たる番組で,放送時間は以前の50分から110分に延長されている.
最初の短いバージョンを見た時に,「この内容からすれば2時間でも尺が全く足りないのではないか?」という印象を受けた.おそらく視聴者からの要望もあったのだろう.今回は20分の未公開映像(?)が加えられ,「全記録」として放送された.
自分にとって,この番組の見どころは,今まで一度しか登頂されたことのない「幻の山」登頂へのチャレンジもさることながら,やはり日本トップの若手登山家たち,特に平出和也氏と中島健郎氏の二人がどのような活躍をするかにあった.
このチャレンジの結末,あのなんとも言えぬ独特の後味を持つその結末を,自分はもちろん知ってはいたのだが,長期にわたる密林行や,現地ポーターたちのサボタージュも含めて,今回も興味深く,楽しく,ワクワクドキドキしながら見させていただいた.
そして山番組といえば,先日の10月9日,BSプレミアムで放送された「にっぽん百名山 鹿島槍ヶ岳」においては,三戸呂拓也氏(元明大山岳部主将)がガイドとして登場した.こうして図らずも,この世代のトップ登山家3人を連続してTVで目にすることになった.
それら若手の登山家たちが,それぞれの立場で山に関わっていく姿を見てしまったためだろうか?今,自分が全く山に登れていない,否,関わることすらできていないことに対して「焦り」のようなものが,再び首をもたげてきた.
いつまでも山に登れるわけではない.それはやはりTVで放映された,NHKドキュメンタリー「田部井淳子 最後の山へ」において,田部井さんの最後の富士山行を視聴した時,強く感じた.たとえ登れたとしても,加齢とともに山行に関する様々な制限やリスクが増えていくのは,当然といえば当然.
山行に関するあらゆる事柄において,「焦りは禁物」であることは百も承知.にも関わらず,心の奥底で何かがうずくのを感じた.
そんな思いの中で日常を過ごしながら,ある時,試しにスクワットで脚力を確かめてみた.結果はなんと連続70回でダウン.脚力がここまで落ちていたのかと愕然とする.それと同時に今まで定常的に感じていた例の「焦り」は,より明確で,ある種の熱を帯びた「危機感」のようなものに変化した.黄色から赤へ.何とかしなければ.
くどいようだが,今年の6月末の徳願寺山での夜間山行訓練以来,低山すら上っていない.7~9月まで間は心肺能力や脚の筋持久力向上,というよりは維持のために,20kg背負子を担ぎながら数時間平地を歩いたり,訓練用に購入したハイドロを背に20km程度,やはり平地で歩く・走るを数時間繰り返すなどは,ほんの数回やっていた.しかしバランス感覚や歩行技術等を含めた山行能力向上のためには,やはり山道を歩く必要のあることは痛絶に感じていた.何とかしなければ.
そしてチャンスが巡ってきた.2017年10月10日.月明かりのある深夜の5~6時間が自分に与えられたのだ.その与えられた時間と現在の体力から逆算すれば,できることは,いつものように徳願寺山に登るおなじみの「夜間山行訓練」ということになる.
ただ前回と同じではどこか物足りない.「チャレンジ」が欲しい.その「チャレンジ」によって,訓練へのモチベーションを上げたい.
そこでまず負荷を増やすことを考えた.いつもは実戦で使用するザックを,実戦で想定される重量14kg前後にして訓練をしていた.しかし今回は20kgの背負子を背負うことにした.背負うのは古本の入ったダンボールとペットボトルの水.水はウエイトとしてだけでなく,飲料用としても使用する予定.
そしてルートだが,とりあえず前回同様,徳願寺山ハイキングコースから梵天山に向かい,そのピークを超えて,尾根伝いにある歓昌院坂(峠)まで歩くことにした.歓昌院坂(峠)は以前,歓昌院側から何度か上ったことがある馴染みのある場所だ.ルート上には危険箇所もなく,分岐もあるにはあるが少ないはず.前回の訓練のマイナー・アップグレード版といったところか.
午前1時に自宅を出発.靴は前回と同じ訓練用のArpenaz 50 .この靴で行った前回の訓練においては,靴底が薄いためか,足の裏がかなり痛くなった事は前回ブログに書いた.その後,対策として,ダイソーのジェルインソール(300円)を靴の中に敷いてみた.その靴を履いて20kg背負子を背負い,何度か平地で試してみたところ,完全に痛みは取れるわけではないが,大幅に改善されることがわかった.今回は山道だが,果たしてどうなるか.
しばらく固い車道を歩いた後,ヘッデンを点灯して麓にある寺の脇から山道に入る.久々の夜の山道のためか,それとも通常より重い背負子のためか,少し緊張してしまった.足取りは予想した以上に重く,身体は硬い.
しばらくそんな状態で登っていくと,徳願寺山門前の農道についた.CTはほぼ前回通り.疲労感は前回よりかなり強いものの,体感経過時間よりも短いタイムであることが実測で判明し,少し安堵した.そう.ここまではまだよかった…
…舗装された農道の上り坂を歩きだしてみて,はっきりと気づいた.歩行の苦しさが前回とはまるで違うのだ.呼吸,体全体の疲労感,心拍数,発汗量.どれをとっても前回とは段違いだった.前回は,訓練とは言え,山行のムードを楽しむ「ゆとり」のようなものがあったのだが,今回はいきなり気の抜けない「戦い」の様相を呈した.
「こんな状態が続くようだったら,計画変更もあり得るな…」
そのような考えが頭の片隅をよぎる.だがそれは強いプレッシャーにはならなかった.序盤がかなり厳しくても,それを乗り越えてしまえば調子が出て楽になることはよくある.そのためこの時は,計画遂行に関して自分は楽観的に考えていた.
徳願寺ハイキングコース入り口前に到着.その手前に設置されたベンチに背負子をおろし,夜景をながめながら喫水休憩と写真撮影に約5分を費やす.その後,コース入り口に続く馴染みの細いコンクリ坂を上っていった.
ハイキングコースの状態は前回の訓練時とほぼ同じ.逆に言えば季節感もなく,「小さい秋」すらどこにも見当たらない.いや,むしろ想定よりもはるかに蒸し暑く,晩夏のイメージに近い.この分では水消費も予想を上回るだろうが,ウエイトとして水は4.5リットルも背負っている.不足することはまずあるまい.
ハイキングコースに入ってからも,あいかわらず足取りも気持ちも重く,「戦い」は続いていた.やがて「戦い」は一種の諦念のようなものに到達し,感情は平坦になり,身体の動きは自動化されていく.まるでマシンだ.
前回の訓練行のCTから約5分遅れで,中継地点である徳願寺山展望台に到着.ここで再び5分休憩.写真撮影を試みたが,こちらも前回同様,安倍川方面の視界を伸びた樹木が遮っており,あまり夜景が見えない.すぐに背負子を担ぎ直し,梵天山へと向かう.
ここからも前回と同じ.尾根伝いの山道を軽くアップダウンしながら歩くと,15分ほどで梵天山山頂に到着した.山頂の様子と寒暖計の写真撮影を行う.そこで前回は気づかなかった標識を発見した.
山名標柱の前辺りに「南アルプス・奥大井自然公園運営協議会」の黄色い標識があった.なぜだろう?こんな山まで,この団体の守備範囲とも思えないのだが…
木の幹に設置されている寒暖計の表示は「19度」.しかしとても19度とは思えない.湿度が高く,風もないためか,体感的には2~3度高く感じた.また前回同様,未だに蚊も飛んでいる.長居は無用.撮影完了後,歓昌院坂を目指し,さっさと頂上を後にした.
梵天山山頂から歓昌院坂(峠)に向かう山道は,尾根伝いに下っていくのだが,これが意外だった.予想以上に急な下り坂だ.道筋もやや薄い.数年前に歓昌院坂から梵天山まで上ったことがあったため,ろくに地形図も確認してこなかったのだが,帰宅後調べてみると歓昌院坂と梵天山山頂の標高差は約200m,距離は約600mあった.この距離の内,中盤の約200mは平坦でアップダウンがない.必然的に標高差のしわ寄せが,序盤と終盤(約400m)に急坂となって現れる.そしてこの急坂がツヅラではなく,直登となっていたため,意表を突かれた形となったわけだ.夜で視界があまり良くないため,当然慎重に道筋を見極めながら下る.
「これは思った以上のタイムロスになる.そして帰りは間違いなく,ここで『戦い』になる」
実際,帰宅してからこの部分のCTをGPSログから確認してみると,上りと下りがほぼ同じだった…
最初の急坂を降りてしばらく行くと,懐かしい黄色い標識がヘッデンの投げかけた光の中に現れた.中電巡視路標識.いったい何ヶ月ぶりだろう?この慣れ親しんでいた標識を見るのは.
そうだ.確かこの道は中電の巡視路でもあったのだ.この標識には山の中で随分お世話になった.少し懐かしさがこみ上げてきた.
更に歩を進めると開けた場所に出た.そびえ立つ黒い影がある.中電の高圧線鉄塔だ.こちらもかつて随分お世話になった.高圧線鉄塔は自分にとって山中のランドマークであり,消失することのない堅牢な中間目標であった.またそこから長くまっすぐに伸びる高圧線は,方向と位置を教えてくれる大事な基準線にもなってくれた.真夜中であるため月夜とは言え,電線はおろか,鉄塔の上部すら闇に飲み込まれ,塔脚以外には何も見えなかったが,長年相見えなかった友と突然出会ったような,不思議なムードが自分を包み込んだ.
おそらく時間に余裕があったのなら,少しの間,このムードを楽しむために小休止するのだろうが,今回はそうもいかない.戦いが待っている.少しだけ写真撮影して,歓昌院坂へ急いだ.
平坦な,しかし少し狭い尾根筋を歩いていくと,再び下り坂が始まった.おそらくこの下り坂が終われば,歓昌院坂なのだろう.思ったより下り坂は長く感じたが,暫く下ると目的地である懐かしの歓昌院坂(峠)に到着した.
ヘッデンの光を回して周囲をザッとみた感じでは,以前来た時とあまり変わっていないようだった.以前来た時に倒れていた標柱は,結局作り直されなかったようで,残骸らしきものを地面に撒き散らし,横たわっている.さらに見渡すと誰が作ってくださったのか,小さな丸太ベンチがあった.これは以前にもあったかな?
さっそくベンチに背負子をおろし,しばし休憩.水を飲み,汗を拭きながら周囲をさらに散策する.するとたくさんの標識というより,看板(?)が新たに取付けられていることがわかった.
どうやら市岳連が取り付けた看板標識らしい.これらは以前にはなかったものだ.ブラックボードのように,黒地に白文字というところが斬新だ.この他に小さな案内図も木につけられていた.
これも以前にはなかったように思う.これは市岳連が付けたかどうかは分からない.防水のためか,ビニールの中に入れてあるので,暫くの間は持ちこたえそうだ.
ただ不思議なことに,この案内図を除いて,市岳連の看板標識には梵天山(別名高山)・徳願寺山方面や駿河嶺・大鈩山方面を指導しているものはなかった.自分が見落としたのかもしれないが,市岳連の方針としては,いわゆる「丸子アルプス」の尾根筋を歩くことは推奨していないのかもしれない.
周囲撮影を中心に約15分ほど休憩した後,やや気の重さを感じつつ帰路についた.ここまで脚,膝,腰などの関節や筋肉に炎症的痛みはないし,ズッコケることもなかった.ただ,この帰路はわからない.例の急登を上って疲れた後,下っていく感じになるので,膝が安定しない状態で下らねばならない可能性がある.そうなると膝などに負担がかかり,痛い目にあうかもしれない.
しかし実際に直急登の上りが始まると,そんな先のことなどは考えていられなくなった.脚の疲労と呼吸の苦しさで連続して上ることができない.情けないが,マイクロピッチを切らざるを得なかった.適当な木の根元でダブルストックに顎を乗せ,短い休息を何度も取りながら,効率の悪い上りを繰り返す.失われた体力を再び痛絶に感じつつ…
その感覚は,以前登った大光山山頂(1662m)手前の最後の急登を思い出させた.やっていることのレベルはまるっきり違うのだが,苦しさや状況が似ていたためだろう.あの時は快晴で暑い夏の日だったな.風もあまり吹いていなかった…
次に思い浮かんだのが,「スッペン河内」のガレから二王山(1208m)に向かう直急登だ.まっすぐに空へと続くあの細い坂道.下山時,日没が近づいているというのに,登っても登っても終わらない上り坂.何度,坂の上を見上げても,それは全く近づいてこない…そう,あれは確かに体力よりも精神にこたえた…
その無限の坂道をやっと登りきって,ようやく二王山山頂前のガスに覆われた平坦地についた時の安堵感.視界の効かないモノトーンの世界の中で,濡れた枯葉の上に残された微かな踏み跡を一人でただただ辿っていくと,穏やかな至福感が自分を徐々に包んでいった.
「ここは『この世』なのだろうか?」
そんな疑問すら,気が抜けて理性の麻痺した精神には,なんのためらいもなく浮かんでくる…
しかし今回の訓練にそのような「甘いご褒美」はない.急登が終わり,梵天山山頂に戻ってきて,これで一段落したことにホッとしたにはした.しかし梵天山の山頂にあるのは深い闇と蠢く小さな虫たちだけ.何のセンチメントも感じられず,そのままピークをスルーした.訓練なのだ.
その後はいつもより疲れはあるものの,ケガや故障もなく,徳願寺山展望台を通過.順調に下山していった.だが,一つだけ前回の訓練の時と重要な違いがあった.それは時間感覚のズレだ.おそらく疲労と背負子重量のためだと思われるが,いつもの道が異様に長く感じられたのだ.徳願寺山展望台からハイキングコース入口までの途中にベンチがあるのだが,それが何時までたっても現れない.もしやいつの間にか,どこかの知らない道に引き込まれてしまったのか?滑りやすい濡れた山道を下りながら,若干の不安にかられた.
不安感とともに,しばらくそのまま下っていくと,その例のベンチがひょいと右手に現れた.なんだ,間違っていなかったんだ.よかった.
ここでようやく自分の時間感覚が,通常の状態でないことに気づくことができた.背負っている重量とこの時間感覚のズレの相関関係は明らかではないが,おそらく正の相関関係がありそうだ.精神物理学.今回の訓練によって,それを実体験できたのは収穫だった.
ハイキングコース入口から農道に出ると,空が薄っすら白み始めているのがわかった.再び入口前のベンチに背負子をおろして,何枚か写真撮影.
撮影が終わり,再び背負子を背負い直して歩き始めた時,後方で何かが動く気配がして,ドキッとした.まだ暗くてよくわからないが,どうやら獣ではなく,人間らしい.話し声も聞こえてくる.二人連れのようだ.夜も開けきらないこの時間に,この真っ暗な農道を歩く人がいるのか?
その人達との間にはまだ距離があったので,自分はとりあえずそのまま前方に歩き続けた.ところがこのお二人の歩速が自分よりかなり速かった.健脚者のようだ.どんどん近づいてくるのがわかる.もしかしたら作物泥棒に間違われて,後をつけられているのかもしれない.そんな疑心暗鬼の気持ちが湧いてきた.
とうとうお二人に背後から追いつかれた.聞こえてくる話し声から判断すると,どうやら年配のご夫婦のようだ.お二人が自分の横を追い抜いぬきかけた時,自分は普段通り「おはようございます」と声をかけてみた.
山行中,あるいは山行前の農道や林道中に,出くわした人には基本的に挨拶するのは,自分にとって鉄則中の鉄則だ.理由はいくつかある.1つ目はその山域に関する最新の情報を交換するため.2つ目は何らかの事故が近隣で発生した時,協力して救助に当たるための準備として.3つ目は単独行者である自分と出会ったことを頭の片隅にでも覚えてもらい,万が一自分が遭難しニュースになった時に,自分に関する情報を救助隊に通報してもらうため.4つ目はもちろん,出会いそのものを楽しむため…
「おはようございます」明るい声で挨拶が返ってきた.返ってきたということは,会話ができる可能性があるということだ.山行中で出会う単独行者の中には,挨拶しても返事が返ってこない場合がある.明らかに話しかけられたくない,あるいは,人と関わりたくないという意思表明だ.それは単独行者の「スタイル」の一種なのだろうが,そのような孤独な(?)単独行者に出会うと,自分はいつも心配になる.
挨拶に続けて,この徳願寺山周囲の状況について,色々とお二人に尋ねてみた.すると意外なことがわかった.まず驚いたのは,この周辺でもニホンカモシカを見かけることがあるということ.ニホンカモシカというと,だいたいこの場所から30キロぐらい北,つまり南アルプス近くまで行かない見ることができないというイメージが自分にはあった.そのイメージは完全に覆された.
もう一つ驚いたのが,今回歩いた山道にマムシが出るということだ.旦那さんが山行中に何回か出会って,一匹はストックで退治したとのことだった.いままでこのルート上では,マムシはおろか蛇に出会ったことは一度もなかったが,今後は注意せねばなるまい.
ご夫婦は登山もされるようで,もしかしたらそのための体力づくりとして,この農道を散歩されているのかもしれない.そんなことを思いながら話を続けていると,農道から自分の下山するルートに分岐する徳願寺山門前に出た.お二人とはそこでお別れをして,自分は再び下りの山道に入った.
下山し,安倍川沿いの車道を歩き始めた時には,すでに朝日が登っていた.車や自転車の往来も始まる中,奇妙な背負子を背負って歩く自分は奇異に見えたかもしれない.少し恥ずかしさを覚えたが,固い舗装道路歩行のために痛み始めた足裏や,脚の筋肉痛,さらには荒い呼吸が,それらの気持ちを押し流すと同時に,「帰還」への集中を促していく…
そして帰宅後,かなりの疲労はあったものの,心配された関節炎などの身体へのダメージはあまり感じられなかった.おおむね訓練は無事にうまくこなしたようだ.課題としては,今回使用したシューズのインソール表面が滑りやすく,靴の中で足が動いてしまう点.特に横に動いてしまう点は看過できない.靴下を変えるか,別のインソールを試すか,現在のところ決まっていない.そして次の山行計画も全く…
自分にとって,この番組の見どころは,今まで一度しか登頂されたことのない「幻の山」登頂へのチャレンジもさることながら,やはり日本トップの若手登山家たち,特に平出和也氏と中島健郎氏の二人がどのような活躍をするかにあった.
このチャレンジの結末,あのなんとも言えぬ独特の後味を持つその結末を,自分はもちろん知ってはいたのだが,長期にわたる密林行や,現地ポーターたちのサボタージュも含めて,今回も興味深く,楽しく,ワクワクドキドキしながら見させていただいた.
そして山番組といえば,先日の10月9日,BSプレミアムで放送された「にっぽん百名山 鹿島槍ヶ岳」においては,三戸呂拓也氏(元明大山岳部主将)がガイドとして登場した.こうして図らずも,この世代のトップ登山家3人を連続してTVで目にすることになった.
それら若手の登山家たちが,それぞれの立場で山に関わっていく姿を見てしまったためだろうか?今,自分が全く山に登れていない,否,関わることすらできていないことに対して「焦り」のようなものが,再び首をもたげてきた.
いつまでも山に登れるわけではない.それはやはりTVで放映された,NHKドキュメンタリー「田部井淳子 最後の山へ」において,田部井さんの最後の富士山行を視聴した時,強く感じた.たとえ登れたとしても,加齢とともに山行に関する様々な制限やリスクが増えていくのは,当然といえば当然.
山行に関するあらゆる事柄において,「焦りは禁物」であることは百も承知.にも関わらず,心の奥底で何かがうずくのを感じた.
そんな思いの中で日常を過ごしながら,ある時,試しにスクワットで脚力を確かめてみた.結果はなんと連続70回でダウン.脚力がここまで落ちていたのかと愕然とする.それと同時に今まで定常的に感じていた例の「焦り」は,より明確で,ある種の熱を帯びた「危機感」のようなものに変化した.黄色から赤へ.何とかしなければ.
くどいようだが,今年の6月末の徳願寺山での夜間山行訓練以来,低山すら上っていない.7~9月まで間は心肺能力や脚の筋持久力向上,というよりは維持のために,20kg背負子を担ぎながら数時間平地を歩いたり,訓練用に購入したハイドロを背に20km程度,やはり平地で歩く・走るを数時間繰り返すなどは,ほんの数回やっていた.しかしバランス感覚や歩行技術等を含めた山行能力向上のためには,やはり山道を歩く必要のあることは痛絶に感じていた.何とかしなければ.
そしてチャンスが巡ってきた.2017年10月10日.月明かりのある深夜の5~6時間が自分に与えられたのだ.その与えられた時間と現在の体力から逆算すれば,できることは,いつものように徳願寺山に登るおなじみの「夜間山行訓練」ということになる.
ただ前回と同じではどこか物足りない.「チャレンジ」が欲しい.その「チャレンジ」によって,訓練へのモチベーションを上げたい.
そこでまず負荷を増やすことを考えた.いつもは実戦で使用するザックを,実戦で想定される重量14kg前後にして訓練をしていた.しかし今回は20kgの背負子を背負うことにした.背負うのは古本の入ったダンボールとペットボトルの水.水はウエイトとしてだけでなく,飲料用としても使用する予定.
そしてルートだが,とりあえず前回同様,徳願寺山ハイキングコースから梵天山に向かい,そのピークを超えて,尾根伝いにある歓昌院坂(峠)まで歩くことにした.歓昌院坂(峠)は以前,歓昌院側から何度か上ったことがある馴染みのある場所だ.ルート上には危険箇所もなく,分岐もあるにはあるが少ないはず.前回の訓練のマイナー・アップグレード版といったところか.
午前1時に自宅を出発.靴は前回と同じ訓練用のArpenaz 50 .この靴で行った前回の訓練においては,靴底が薄いためか,足の裏がかなり痛くなった事は前回ブログに書いた.その後,対策として,ダイソーのジェルインソール(300円)を靴の中に敷いてみた.その靴を履いて20kg背負子を背負い,何度か平地で試してみたところ,完全に痛みは取れるわけではないが,大幅に改善されることがわかった.今回は山道だが,果たしてどうなるか.
しばらく固い車道を歩いた後,ヘッデンを点灯して麓にある寺の脇から山道に入る.久々の夜の山道のためか,それとも通常より重い背負子のためか,少し緊張してしまった.足取りは予想した以上に重く,身体は硬い.
しばらくそんな状態で登っていくと,徳願寺山門前の農道についた.CTはほぼ前回通り.疲労感は前回よりかなり強いものの,体感経過時間よりも短いタイムであることが実測で判明し,少し安堵した.そう.ここまではまだよかった…
…舗装された農道の上り坂を歩きだしてみて,はっきりと気づいた.歩行の苦しさが前回とはまるで違うのだ.呼吸,体全体の疲労感,心拍数,発汗量.どれをとっても前回とは段違いだった.前回は,訓練とは言え,山行のムードを楽しむ「ゆとり」のようなものがあったのだが,今回はいきなり気の抜けない「戦い」の様相を呈した.
「こんな状態が続くようだったら,計画変更もあり得るな…」
そのような考えが頭の片隅をよぎる.だがそれは強いプレッシャーにはならなかった.序盤がかなり厳しくても,それを乗り越えてしまえば調子が出て楽になることはよくある.そのためこの時は,計画遂行に関して自分は楽観的に考えていた.
徳願寺ハイキングコース入り口前に到着.その手前に設置されたベンチに背負子をおろし,夜景をながめながら喫水休憩と写真撮影に約5分を費やす.その後,コース入り口に続く馴染みの細いコンクリ坂を上っていった.
ハイキングコースの状態は前回の訓練時とほぼ同じ.逆に言えば季節感もなく,「小さい秋」すらどこにも見当たらない.いや,むしろ想定よりもはるかに蒸し暑く,晩夏のイメージに近い.この分では水消費も予想を上回るだろうが,ウエイトとして水は4.5リットルも背負っている.不足することはまずあるまい.
ハイキングコースに入ってからも,あいかわらず足取りも気持ちも重く,「戦い」は続いていた.やがて「戦い」は一種の諦念のようなものに到達し,感情は平坦になり,身体の動きは自動化されていく.まるでマシンだ.
前回の訓練行のCTから約5分遅れで,中継地点である徳願寺山展望台に到着.ここで再び5分休憩.写真撮影を試みたが,こちらも前回同様,安倍川方面の視界を伸びた樹木が遮っており,あまり夜景が見えない.すぐに背負子を担ぎ直し,梵天山へと向かう.
ここからも前回と同じ.尾根伝いの山道を軽くアップダウンしながら歩くと,15分ほどで梵天山山頂に到着した.山頂の様子と寒暖計の写真撮影を行う.そこで前回は気づかなかった標識を発見した.
山名標柱の前辺りに「南アルプス・奥大井自然公園運営協議会」の黄色い標識があった.なぜだろう?こんな山まで,この団体の守備範囲とも思えないのだが…
木の幹に設置されている寒暖計の表示は「19度」.しかしとても19度とは思えない.湿度が高く,風もないためか,体感的には2~3度高く感じた.また前回同様,未だに蚊も飛んでいる.長居は無用.撮影完了後,歓昌院坂を目指し,さっさと頂上を後にした.
梵天山山頂から歓昌院坂(峠)に向かう山道は,尾根伝いに下っていくのだが,これが意外だった.予想以上に急な下り坂だ.道筋もやや薄い.数年前に歓昌院坂から梵天山まで上ったことがあったため,ろくに地形図も確認してこなかったのだが,帰宅後調べてみると歓昌院坂と梵天山山頂の標高差は約200m,距離は約600mあった.この距離の内,中盤の約200mは平坦でアップダウンがない.必然的に標高差のしわ寄せが,序盤と終盤(約400m)に急坂となって現れる.そしてこの急坂がツヅラではなく,直登となっていたため,意表を突かれた形となったわけだ.夜で視界があまり良くないため,当然慎重に道筋を見極めながら下る.
「これは思った以上のタイムロスになる.そして帰りは間違いなく,ここで『戦い』になる」
実際,帰宅してからこの部分のCTをGPSログから確認してみると,上りと下りがほぼ同じだった…
最初の急坂を降りてしばらく行くと,懐かしい黄色い標識がヘッデンの投げかけた光の中に現れた.中電巡視路標識.いったい何ヶ月ぶりだろう?この慣れ親しんでいた標識を見るのは.
そうだ.確かこの道は中電の巡視路でもあったのだ.この標識には山の中で随分お世話になった.少し懐かしさがこみ上げてきた.
更に歩を進めると開けた場所に出た.そびえ立つ黒い影がある.中電の高圧線鉄塔だ.こちらもかつて随分お世話になった.高圧線鉄塔は自分にとって山中のランドマークであり,消失することのない堅牢な中間目標であった.またそこから長くまっすぐに伸びる高圧線は,方向と位置を教えてくれる大事な基準線にもなってくれた.真夜中であるため月夜とは言え,電線はおろか,鉄塔の上部すら闇に飲み込まれ,塔脚以外には何も見えなかったが,長年相見えなかった友と突然出会ったような,不思議なムードが自分を包み込んだ.
おそらく時間に余裕があったのなら,少しの間,このムードを楽しむために小休止するのだろうが,今回はそうもいかない.戦いが待っている.少しだけ写真撮影して,歓昌院坂へ急いだ.
平坦な,しかし少し狭い尾根筋を歩いていくと,再び下り坂が始まった.おそらくこの下り坂が終われば,歓昌院坂なのだろう.思ったより下り坂は長く感じたが,暫く下ると目的地である懐かしの歓昌院坂(峠)に到着した.
ヘッデンの光を回して周囲をザッとみた感じでは,以前来た時とあまり変わっていないようだった.以前来た時に倒れていた標柱は,結局作り直されなかったようで,残骸らしきものを地面に撒き散らし,横たわっている.さらに見渡すと誰が作ってくださったのか,小さな丸太ベンチがあった.これは以前にもあったかな?
さっそくベンチに背負子をおろし,しばし休憩.水を飲み,汗を拭きながら周囲をさらに散策する.するとたくさんの標識というより,看板(?)が新たに取付けられていることがわかった.
どうやら市岳連が取り付けた看板標識らしい.これらは以前にはなかったものだ.ブラックボードのように,黒地に白文字というところが斬新だ.この他に小さな案内図も木につけられていた.
これも以前にはなかったように思う.これは市岳連が付けたかどうかは分からない.防水のためか,ビニールの中に入れてあるので,暫くの間は持ちこたえそうだ.
ただ不思議なことに,この案内図を除いて,市岳連の看板標識には梵天山(別名高山)・徳願寺山方面や駿河嶺・大鈩山方面を指導しているものはなかった.自分が見落としたのかもしれないが,市岳連の方針としては,いわゆる「丸子アルプス」の尾根筋を歩くことは推奨していないのかもしれない.
周囲撮影を中心に約15分ほど休憩した後,やや気の重さを感じつつ帰路についた.ここまで脚,膝,腰などの関節や筋肉に炎症的痛みはないし,ズッコケることもなかった.ただ,この帰路はわからない.例の急登を上って疲れた後,下っていく感じになるので,膝が安定しない状態で下らねばならない可能性がある.そうなると膝などに負担がかかり,痛い目にあうかもしれない.
しかし実際に直急登の上りが始まると,そんな先のことなどは考えていられなくなった.脚の疲労と呼吸の苦しさで連続して上ることができない.情けないが,マイクロピッチを切らざるを得なかった.適当な木の根元でダブルストックに顎を乗せ,短い休息を何度も取りながら,効率の悪い上りを繰り返す.失われた体力を再び痛絶に感じつつ…
その感覚は,以前登った大光山山頂(1662m)手前の最後の急登を思い出させた.やっていることのレベルはまるっきり違うのだが,苦しさや状況が似ていたためだろう.あの時は快晴で暑い夏の日だったな.風もあまり吹いていなかった…
次に思い浮かんだのが,「スッペン河内」のガレから二王山(1208m)に向かう直急登だ.まっすぐに空へと続くあの細い坂道.下山時,日没が近づいているというのに,登っても登っても終わらない上り坂.何度,坂の上を見上げても,それは全く近づいてこない…そう,あれは確かに体力よりも精神にこたえた…
その無限の坂道をやっと登りきって,ようやく二王山山頂前のガスに覆われた平坦地についた時の安堵感.視界の効かないモノトーンの世界の中で,濡れた枯葉の上に残された微かな踏み跡を一人でただただ辿っていくと,穏やかな至福感が自分を徐々に包んでいった.
「ここは『この世』なのだろうか?」
そんな疑問すら,気が抜けて理性の麻痺した精神には,なんのためらいもなく浮かんでくる…
しかし今回の訓練にそのような「甘いご褒美」はない.急登が終わり,梵天山山頂に戻ってきて,これで一段落したことにホッとしたにはした.しかし梵天山の山頂にあるのは深い闇と蠢く小さな虫たちだけ.何のセンチメントも感じられず,そのままピークをスルーした.訓練なのだ.
その後はいつもより疲れはあるものの,ケガや故障もなく,徳願寺山展望台を通過.順調に下山していった.だが,一つだけ前回の訓練の時と重要な違いがあった.それは時間感覚のズレだ.おそらく疲労と背負子重量のためだと思われるが,いつもの道が異様に長く感じられたのだ.徳願寺山展望台からハイキングコース入口までの途中にベンチがあるのだが,それが何時までたっても現れない.もしやいつの間にか,どこかの知らない道に引き込まれてしまったのか?滑りやすい濡れた山道を下りながら,若干の不安にかられた.
不安感とともに,しばらくそのまま下っていくと,その例のベンチがひょいと右手に現れた.なんだ,間違っていなかったんだ.よかった.
ここでようやく自分の時間感覚が,通常の状態でないことに気づくことができた.背負っている重量とこの時間感覚のズレの相関関係は明らかではないが,おそらく正の相関関係がありそうだ.精神物理学.今回の訓練によって,それを実体験できたのは収穫だった.
ハイキングコース入口から農道に出ると,空が薄っすら白み始めているのがわかった.再び入口前のベンチに背負子をおろして,何枚か写真撮影.
撮影が終わり,再び背負子を背負い直して歩き始めた時,後方で何かが動く気配がして,ドキッとした.まだ暗くてよくわからないが,どうやら獣ではなく,人間らしい.話し声も聞こえてくる.二人連れのようだ.夜も開けきらないこの時間に,この真っ暗な農道を歩く人がいるのか?
その人達との間にはまだ距離があったので,自分はとりあえずそのまま前方に歩き続けた.ところがこのお二人の歩速が自分よりかなり速かった.健脚者のようだ.どんどん近づいてくるのがわかる.もしかしたら作物泥棒に間違われて,後をつけられているのかもしれない.そんな疑心暗鬼の気持ちが湧いてきた.
とうとうお二人に背後から追いつかれた.聞こえてくる話し声から判断すると,どうやら年配のご夫婦のようだ.お二人が自分の横を追い抜いぬきかけた時,自分は普段通り「おはようございます」と声をかけてみた.
山行中,あるいは山行前の農道や林道中に,出くわした人には基本的に挨拶するのは,自分にとって鉄則中の鉄則だ.理由はいくつかある.1つ目はその山域に関する最新の情報を交換するため.2つ目は何らかの事故が近隣で発生した時,協力して救助に当たるための準備として.3つ目は単独行者である自分と出会ったことを頭の片隅にでも覚えてもらい,万が一自分が遭難しニュースになった時に,自分に関する情報を救助隊に通報してもらうため.4つ目はもちろん,出会いそのものを楽しむため…
「おはようございます」明るい声で挨拶が返ってきた.返ってきたということは,会話ができる可能性があるということだ.山行中で出会う単独行者の中には,挨拶しても返事が返ってこない場合がある.明らかに話しかけられたくない,あるいは,人と関わりたくないという意思表明だ.それは単独行者の「スタイル」の一種なのだろうが,そのような孤独な(?)単独行者に出会うと,自分はいつも心配になる.
挨拶に続けて,この徳願寺山周囲の状況について,色々とお二人に尋ねてみた.すると意外なことがわかった.まず驚いたのは,この周辺でもニホンカモシカを見かけることがあるということ.ニホンカモシカというと,だいたいこの場所から30キロぐらい北,つまり南アルプス近くまで行かない見ることができないというイメージが自分にはあった.そのイメージは完全に覆された.
もう一つ驚いたのが,今回歩いた山道にマムシが出るということだ.旦那さんが山行中に何回か出会って,一匹はストックで退治したとのことだった.いままでこのルート上では,マムシはおろか蛇に出会ったことは一度もなかったが,今後は注意せねばなるまい.
ご夫婦は登山もされるようで,もしかしたらそのための体力づくりとして,この農道を散歩されているのかもしれない.そんなことを思いながら話を続けていると,農道から自分の下山するルートに分岐する徳願寺山門前に出た.お二人とはそこでお別れをして,自分は再び下りの山道に入った.
下山し,安倍川沿いの車道を歩き始めた時には,すでに朝日が登っていた.車や自転車の往来も始まる中,奇妙な背負子を背負って歩く自分は奇異に見えたかもしれない.少し恥ずかしさを覚えたが,固い舗装道路歩行のために痛み始めた足裏や,脚の筋肉痛,さらには荒い呼吸が,それらの気持ちを押し流すと同時に,「帰還」への集中を促していく…
そして帰宅後,かなりの疲労はあったものの,心配された関節炎などの身体へのダメージはあまり感じられなかった.おおむね訓練は無事にうまくこなしたようだ.課題としては,今回使用したシューズのインソール表面が滑りやすく,靴の中で足が動いてしまう点.特に横に動いてしまう点は看過できない.靴下を変えるか,別のインソールを試すか,現在のところ決まっていない.そして次の山行計画も全く…