2017年2月22日水曜日

夜間山行訓練(徳願寺ハイキングコース)

★概要

  • 日程:2017年1月21日
  • 天候:晴れ,徳願寺山山頂気温:5.3℃
  • コースタイム
    自宅発21:35→西宮神社(標高22m)着22:10→徳願寺山門前(標高121m)着22:45→徳願寺ハイキングコース登山口着22:55→徳願寺山展望台(山頂)着23:15(標高352m)→休憩30分→徳願寺山展望台発23:45→徳願寺ハイキングコース登山口着0:00→自宅着1:00
  • 総行動時間:3時間
  • 総休憩時間:30分 
  • 総移動距離:14km
  • 最高標高:352m

★ 感想

詳細は省くが,前回の訓練のときよりも調子が良かったため,予定にはなかったが,農道から徳願寺ハイキングコースに入ってみた.靴はボンドでソールを修復した例のジョギングシューズ.

上りは問題なかったが,下り終えた時点で片方の靴のかかと部分のウレタンがごっそり取れてしまった.ここからの修復はかなり難しいと思われるので,訓練用のシューズを購入する必要がでてきた.現在,候補検討中.

2017年2月8日水曜日

大平→高野マキ(大平のコウヤマキ,約780m)

★概要

  • 日程:2017年1月7日
  • 天候:快晴,高野マキ(約780m)山頂気温: 3.7℃,風ややあり
  • コースタイム
    自宅発3:20→大平バス停着7:15→興津川渡渉点着8:00→偵察5分→渡渉5分→農道終点(登山口)着8:20→第1水飲場着9:05→第二水飲場?着9:30→第一高野マキ遠望所?着9:55→第三水飲場?着10:15→高野マキ着10:30→休憩2時間→高野マキ発12:30→興津川渡渉点着14:20→渡渉(準備・片付含)30分→渡渉点発14:50→途中地元の方とお話3分→大平バス停着15:30→自宅着19:00
  • 総行動時間:13時間(自転車:4+3.5時間,山行:3+2.5時間) 
  • 総休憩時間:3時間
  • ルート:松浦理博「安倍山系 上」,高ドッキョウルート⑤

★写真(190枚)

★動画(6本)


★ レポート

遙かなる高ドッキョウ…

2016年11月26日,出羽→和少自ルート,途中撤退
2016年12月9日,湯沢→湯沢峠ルート,途中撤退

明けて2017年1月7日.再び高ドッキョウ(1134m)を目指す…

午前3:40に自宅から自転車行を開始.前回と同様,国道1号線沿いを興津まで行き,そこから国道52号線に乗り換えて,興津川沿いに北上する計画.

そしてそれは,国道1号線から国道52号線に乗り移るために左折した直後に起こった.それまで外灯のある道で自転車のLEDライトのみ十分だったため,ヘッデンを付けていなかった.おそらくそれがこの原因.

左折後,外灯のない歩道に乗り込んでしまった.そこで走りやすい車道に出ようとしたのだが,LEDライトだけでは路面がよく見えなかった.そのまま車道に出ようとしたところ,突如,前輪を縁石にぶつけてしまったのだ.スピードは出ていなかったが,突然の出来事だったので,自分は瞬時に何が起こったのか理解できなかった.ただ反射的に自転車を「投げ捨てる」ことはできた.

この判断が果たして正しいのかどうかわからないが,今までの経験上,自転車のハンドルを握ったまま,座った状態で自転車とともに倒れてしまうと,大きな怪我をすると自分は思っている.今回のような予期せぬ衝突が起こった場合,その瞬間に自転車を投げ捨てて,足がつきそうならば勢いのまま走り,足がつきそうもないなら,地面を転がりながら受け身を取るつもりだった.今回は足がついたので,自転車を投げ捨てた後,自分は少し車道を走っただけですんだ.ケガはなし.早朝であるため車道に車の通りが殆どなかったのが幸いした.

ただし自転車の方はと言うと,チェーンが外れ,後輪フェンダーとハンドルが曲がってしまった.ありがたいことにタイヤのダメージはなく,走行には問題なさそうだ.すぐにそれらを修繕してから,再び目的地に向かってスタートを切ることが出来た.しかし自分の士気には少なからぬ影響を与えたのは事実.ようするに「ビビってしまった」のだ…

…以前,今回のように自転車走行中,真正面から縁石にぶつかった時はスピードが出ていたため,自転車ごと前転し,顔からアスファルトの地面に落ちてしまった.自分は顔面に打撲と擦過傷を負った.ありがたいことに頭蓋骨も鼻骨も折れなかった.前歯3本は以前の事故で折っていてすでになかったので,歯もそれ以上失わずに済んだ.歯は安くはない.

その時の自転車はというと,前輪タイヤがロックしてしまったため,確か前輪を持ち上げながら後輪を転がし,自宅まで休み休み引きずっていったと記憶する.それがあまりに厳しかったので,帰宅直後,自戒のためにその時の顔写真を撮影した…

…やはり今回同様,冬の夜の出来事だった.おそらくその時のことが思い出されて,身のすくむ思いがしたのだと思う.

気を取り直して,再び国道52号線を走り始めたが,どうも体調がよろしくない.疲れているのか,ちょっとした坂道でも自転車をこぎ続けることが出来ず,下りて押してしまう.睡眠時間が1時間ぐらいだったので,その影響かもしれない.自転車行がいつもより辛く,長く感じられた.そして実際,それは長かった.

駐輪予定地の大平バス停に到着したのは,夜も明けた7:15.計画を1時間もオーバーし,4時間もかかってしまった.アップダウンもあったため,体力もそれなりに消耗しているようだ.とにかく時間が押しているため,自転車を駐輪すると,一服もせずそのまま興津川沿いの県道を歩き出した.目標は興津川の渡渉点だ.

今回の山行では興津川の渡渉が一つのポイントとなっていた.「安倍山系」には飛び石伝いに渡ると記載されていたが,はたしてそれが可能かどうか…


45分ほど歩いて渡渉点に到着.「安倍山系」に書かれていたとおり,コンクリートの農道は興津川の底を走っている.川幅は約7m,水深は15センチぐらいだろうか?まずはうまく渡渉に使える飛び石がないか,川を観察してみる.確かに渡渉に使ったような人工的に並べられた感じのする石の並びがあった.しかしその並びは完全ではなく,途中に大きな1.5mほどのギャップが存在した.しかもそのギャップの先にある石は平らではなく尖っていて,ステップできそうにない.さてどうしたものか?

結局,自分はこの途中まで並んでいる飛び石を使うことにした.最後のギャップは,飛び越して,その次の石の右側面をキックして左に横飛すれば,濡れずに対岸につけると判断したのだ.そして愚か者はそれを実行に移した.

意を決して,最後のギャップを飛び越えたまでは良かった.ところが次の石の右側面に足は届いたのだが,靴が全くグリップせず,そのまま滑ってしまった.当然重心を右足に置いていたため,自分は右前方の石のごろごろしている対岸に,正面から勢い良く倒れた.まず左膝を石で打ち,続いて反射的についた右手の甲を石で打ち,さらに額の左上を石で打った.それだけではなく,体の一部のように思っていた水消費の進んでいない12kgザックが加速された結果,まるで追い打ちをかけるように後頭部から自分の額を石に押し付けてきた.冷たい硬質な激痛が全身を貫く.

「やっちまった…」

痛みで動くことが出来ない.動くことが許されない.ただただじっと,痛みに耐えるのみ.死んだカエルのような無様な格好のまま…

自分は今までの山行中に何度かこれと同じ目にあったことがあるが,その時にいつも切実に感じる事がある.それは「孤独」だ.誰も助けてはくれない.この痛みを分かち合い,同情してくれる友もいない.単独行の冷酷な現実と,無謀な自分への嫌悪の苦味を,惨めに噛みしめる時だ.

痛みが少し収まった頃,自分は自己状態のチェックを開始した.左膝はかなり痛んでいる.出血もしている感じだが,メインは打撲だ.普通に歩けるので,骨は折れていないし,ヒビも入っていないだろう.額からも血は流れ出てこない.手の甲も打撲の痛みはあるが,ちょっと出血しただけで,動いてくれる.装備の損傷や紛失もない.これなら山行は続けられそうだ.よろよろと立ち上がり,石の転がる殺風景な興津川の中洲を対岸に向かって歩き出した.



中洲から山のある対岸までには,もう一度渡渉があるが,それは3mぐらいの幅で,たいしたことはなく,飛び石伝いに無事渡ることが出来た.そこからは放置茶畑の脇のコンクリート農道を上っていく.


農道の終わりは放置茶畑の角にあたっており,そこからは山道を上っていく.あまり人が踏んでいる感じはせず,荒れてはいたものの,道筋は明瞭.おまけにテープやビンのキャップで作ったマーキングらしきものが,頻繁に出現してくれた.思ったより良い出だしだ.

しばらく歩くと岩の多い杉林に出た.そこにはもう自分には顔なじみとなった「和田島少年自然の家(以下「和少自」)」のプラスティック製標柱が立てられていた.ありがたいことに,今回のルートは和少自認定路でもあるため,要所要所にはこのプラ標柱が立てられている.その標柱を過ぎて少し歩くと,今度は奇妙なマーキングが現れた.


見事に積まれたケルン.よほどケルンづくりに慣れた人が作ったようで,芸術的と言っても良い絶妙なバランスで石が積まれている.このケルンもその後,要所要所に現れてくれた.だいたい和少自プラ標柱のある場所にはケルンがあったので,もしかしたら和少自のプラ標柱が立てられる前は,このケルンが標識の役割を果たしていたのかもしれない.

最初のケルンを越えてからしばらくは,支稜の尾根に乗ったり,降りたり,乗っこしたりしながら,広葉樹林や杉林の中を進んでいく.杉林の中の一部の道は,杉の枝で厚く覆われているため,極めて不明瞭になっている.そのような場合でもテープ等のマーキングを探せば,大体見つかったため,道に迷うことはなかった.

さらに進むと大きな岩から水の滴り落ちている場所に出た.傍らには和少自プラ標柱が立っている.その標柱には「第一水飲場」と書かれていた.「安倍山系」で出現予告された場所だ.


よくある水場のようにパイプこそないが,小さな白糸の滝のように水が細く滴り落ちているため,きれいな水を飲むことができそうだった.ただし水流が細いため,ペットボトル等に水を貯める場合には時間がかかるかもしれない.

とりあえず道は間違っていなかった.次は「第二水飲場」が現れるはずだ.少し撮影を行った後,今度は枯れ葉に埋もれた山道を登っていく.

15分ほど行くと,開けた場所が見えてきた.緑に苔むした岩がゴロゴロしている枯れ気味の沢のような場所だ.そういえばこの風景には見覚えがある.


今回のルートについてネットで事前調査した時に発見した山行記録の中に,この風景と似た写真が掲載されていた.うろ覚えだが,その山行記録の写真には「ここで道が不明瞭になる」と添え書きされていたように記憶する.

とりあえず沢の方へ下っていくと,そこは開けた河原のようになっており,道筋も消えてしまった.ムードとしては対岸に道があるようだが,一見,どこを渡ればよいのかわからない.とりあえず高巻きの可能性を探るために,上方の大きな岩のある場所を偵察してみた.



すると草に巻かれた,脱色したボロボロのテープを発見.その奥に見える岩と斜面との間は,細い隙間が見える.どうやらこの隙間から高巻く感じで登るようだ.

水に濡れた段差のある岩場を慎重に上ってみると,確かに対岸に道らしきものが見える.ありがたいことにここにも倒木にテープが巻かれており,登山道を指導してくれた.テープの指示通りに,僅かに水の流れる涸れ沢の苔むした岩の上を歩いて対岸に渡ると,今度は和少自プラ標柱とケルンが出迎えてくれた.近くには炭焼き窯跡のような人工的に作られた穴.


だとするとここは「安倍山系」に書かれていた「第二水飲場」ということになるが,和少自プラ標柱にマジックで書かれた文字は,すでに消えかけており,判読することはできなかった.仮にここが第二水飲場とすると,残念ながら水はほとんど流れていないため,水場としては十分に機能していないことになる.

「第二水飲場」らしき場所を過ぎて,しばらくすると広葉樹林から杉林へと樹相が変わった.そこからの山道は尾根に向かう急坂となり,笹が道を覆っていた.少しだけ笹を漕いで尾根に取り付くと,笹の中に和少自プラ標柱を発見.


「→第一高野マキ遠望所」と書かれている.道なりに少し歩いてみたのだが,遠望所の位置がよくわからない.標識もないので,高野マキがよく見える場所が遠望所ということなのかもしれない.ちなみに樹木のため,ここらあたりでは樹間から高野マキと隣に建てられた避雷針がわずかに見える程度だ.


遠望所らしき場所を過ぎて,ほとんど水の枯れた沢に降り,渡渉.対岸に渡った後は,その沢と崩落地の間にある山道を,ケルンと和少自プラ標柱に導かれながら上っていく.涸れ沢の白い砂地をサクサクと踏んで,さらに上っていくと,左側の谷の対岸斜面に炭焼き窯跡らしきものを発見.「安倍山系」によれば,この炭焼き窯跡を過ぎてしばらく行くと,「第三水飲場」が現れる.

やがて前方に小さなケルンと和少自プラ標柱が見えてきた.その先には小さな涸れ沢が道を横切っている.プラ標柱に書かれた文字は,ここでも読めないが,おそらくここが「第三水飲場」のようだ.そしてここにもほとんど水はない.


第三水飲場をすぎれば,高野マキまではあと少しのはず.傾斜の緩やかな広葉樹林帯の山道を上っていったのだが,ここで薄々感じていた身体の異変にはっきりと気づいた.

いつもならば気持ちの良く明るい広葉樹林帯の道を歩くと,気分がよくなり,疲れていても楽しい気分になるものなのだが,何故か一向に楽しい気持ちにならない.むしろ疲れと寒さと痛みに注意が向いてしまう.体温も上昇してこず,汗もあまりかいていない.何かおかしい.さらにこれも原因不明なのだが,視界の端がぼやけている.メガネが汗で濡れたためかと思い,何度かタオルで拭ったのだが,ぼやけたまま…

軽い低体温症だろうか?時計の温度計表示から推定される気温は5度程度.朝食はカップ麺を食っているので,500キロカロリー程度は投入されている.ただし,ここまで行動食はほとんど摂っていない.ケガの痛みで食欲を感じることができなかったためか?それとも風邪を引いているのか?原因はよくわからないが,普段の体調ではないことだけは明らかだった.とりあえず高野マキまではいかねば…

そこからひとのぼりすると,巨大な老木がお出迎えしてくれた.高野マキ到着.風景を楽しむ(といっても林の中の小平坦地で,眺望はないのだが)よりも,とりあえずザックを下ろしたかった.避雷針電柱の隣にザックをおろして,すぐに休憩に入った.時刻は10:30.防寒のためザックからレインウエアの上着を取り出し,それを着込みながらこれからどうするかを考える.



「安倍山系」に掲載されていたCTでは,ここから約1時間で高ドッキョウ山頂につく.しかし現在の体調では,倍の時間をみておかねばならない.おそらく山頂到着時刻は12:30.そこでの休憩を1時間みると13:30.下りがバス停までおそらく4時間ほどで,17:30.となるともはや帰宅は21:00頃になってしまうだろう.しかも再渡渉という不確定要素がある…

避雷針電柱の前に座り込み,様々な要因を加味しながら,頭のなかでシミュレーションを何度も繰り返した.しかし答えはいつも同じだった.「現状での登頂はリスクが高い.仮に登頂後無事下山できても,帰宅は大幅に遅れるだろう」

結論.今回は高野マキで撤退することにした.その決定と同時に一つの問題が発生した.時間が逆に余ってしまったわけだ.早く帰ればいいのだが,せっかくここまで来たのに,それはまた惜しいではないか.せめて眺望はないけれど,山の雰囲気を味わっていたい.おそらく夏場ならば問題がないのだろうが,気温は4度ほどで,風も少し吹いているため,じっとしていれば寒い.とりあえず体調と相談しながら,休めるだけ休んでいこう.自分は昼食の準備に取り掛かった…

…2時間が経過した.いつの間にか,2時間もの時間が経過していた.記憶がはっきりしないのだが,もしかしたら,うたた寝をしてしまったのかもしれない.確かに今回は新しいスマホによる360°パノラマ写真撮影の実用試験を行ったので,普段よりも撮影に時間がかかったのは事実だが,それにしても2時間は長い.やはり体調の悪さが,この2時間を要求したのだろうか?

「高野マキ」についても少し書いておく.正式名称は「大平のコウヤマキ」で静岡県天然記念物に指定されている.倒れていた県によると思われる説明板によると,その選定理由は,本来マキは雌雄同体なのだが,「大平のコウヤマキ」は大変珍しいオスの木であるかららしい.誰が発見したのかはわからないが,よく見つけたものだ.周囲の樹木より背が高いため,遠くから見ると周りの樹木から頭が突き出て見えるため,古くから目立った木ではあったのだろう.弘法大師の置き忘れた杖がこの木になったという伝説や,その伝説に基づくであろう根本に置かれた石仏の存在にもこれで合点がいく.


わざわざ金をかけて背の高い避雷針電柱も付近に設けられており,それなりに保護されているとは思うが,ここまでの道の荒れ具合や倒れっぱなしの説明板などをみると,忘れ去られているのではないかという気もしてくる.そう思うとこの孤独な老巨木が憐れに思えてきた.古くはランドマークとして,最近では天然記念物として少しの間脚光を浴びたのかもしれないが,今では自分のような変わった山行者が,時折立ち寄る程度なのかもしれない.そういえば立ち話をした地元の方も,ここまでは上ったことがないと言っていた.

さて高野マキから下山を開始後,わずか2時間で興津川渡渉点に到着.今度は無理せず,靴を脱いで渡渉することにした.

実は自分は渡渉のための道具を持参していた.ダイビング用すべり止め付き防水靴下だ.材質はネオプレーンで厚さは3mm.足首にベルクロもついているため,水があまり入らない.冬場の渡渉では水温が低く,できれば避けたいところだが,これならばそれほど冷たい思いをせず,また川の中で転ぶことなく,渡渉できるはずだ.「はずだ」と書いたのは,今回が初めて実使用するからだ.

ちなみに今回は持参しなかったが,100均セームも渡渉用具と考えている.ややかさばるが,素早く水を拭き取ることが出来るだけでなく,渡渉以外の用途も可能で汎用性が高く,何より軽い.

さてトレッキングシューズと靴下を脱ぎ,防水靴下を履いたのだが,靴と靴下をどうしたものかと考えた.おそらく通常ならば,靴の中に靴下を入れ,両方の靴を靴紐で結び,それをカラビナでザックに吊り下げるのだろう.ところがこの時自分は,グレートトラバースで田中陽希がやっていた「靴投げ」を思い出した.つまり靴を対岸に投げるという方法だ.確かにそのほうが楽で,確実なようにその時の自分には思えた.それが甘かった.

ザックを背負う前に,先に靴をアンダースローで投げてみた.ところが予想以上の靴の重さのために,指から靴がすっぽ抜けて,なんと川の中に投げ込んでしまったのだ!うわっ,靴が流されていく.その場所から数m下流には堰堤があり,滝のようになっている.そこまで流されたら回収は不可能だ.こりゃえらいこっちゃ!なりふり構わず川に突進した.ズボンの裾を濡らし,水をバチャバチャ跳ね上げながら,何とか靴をキャッチ.膝から下をずぶ濡れにしながら,ザックのある岸に戻った.危なかった…

普通ならこれで懲りるのだろう.しかし自分は「靴投げ」にこだわった.「靴投げ」の実用性をもう一度確かめてみたいという知的好奇心が強かったのだろう.しっかり握ってやれば大丈夫だ.

そしてその通り,しっかり靴を握って再びアンダースローで投げてみた.するとなんとしたことか,今度はすっぽ抜けはしなかったが,握りすぎて靴が上方に飛び上がってしまったのだ.そして靴はそのまま川の中にボチャンと落水!うわっ,靴が流される!なりふり構わず川に突進.今度は前より流されたが,何とかキャッチできた.ああ,危なかった…

誰も見ていない山の中で,こんな一人コントを演じていた自分.いったい何なのか?あまりにバカバカしくて,おかしくて,その場で大笑いしてしまった.実際には笑い事ではなかったのだが…

とにかくこの2回で十分に懲りたので,靴は投げるのはやめて,ザックに吊り下げ,無事渡渉完了.防水靴下の効果は絶大で,冷たい思いをすることもなかった.短時間のためか水も中に侵入しなかったようだ.ただ落水した靴も靴下もぐちゃぐちゃになっていた.渡渉後約30分も費やして,できるだけ靴と靴下の水分を取ったが,あまり効果はなく,あきらめて濡れた靴下と靴をそのまま履いた.そこから大平バス停まで歩き,さらに自転車で3.5時間かけて帰宅.トレッキングシューズ(コロンビア)の透湿性に期待したのだが,結局靴の中は乾くことはなかった.ただマメができなかったので,ほぼ予想通りの時間で帰ってくることは出来た.渡渉時のケガの痛みは,その後2週間程度続いたが,現時点では回復している.

この「痛い」山行からすでに一月が経過したが,諸般の都合により,なかなか山行する時間がない.先日購入した山本正義著「登山の運動生理学とトレーニング学」を読み,スクワットなどの筋トレを行って準備はしている.次回は今回と同じルートをとり,高野マキ経由で高ドッキョウを目指したいのだが…