2017年11月11日土曜日

夜間山行訓練:徳願寺山(352m)→梵天山(376m)→歓昌院坂(171m)縦走


★概要

  • 日程:2017年10月10日
  • 天候:曇り,梵天山山頂気温:19℃
  • コースタイム
    自宅発1:05→徳願寺山門前(標高121m)着2:00→徳願寺ハイキングコース登山口着2:10→休憩5分→徳願寺ハイキングコース登山口発2:15→徳願寺山(標高352m)展望台(山頂)着2:45→休憩5分→徳願寺山展望台発2:50→梵天山(標高376m)山頂着3:05→歓昌院坂(標高171m)着3:40→休憩15分→歓昌院坂発3:55→梵天山山頂着4:25→徳願寺山展望台(山頂)着4:45→徳願寺ハイキングコース登山口着5:05→休憩5分→徳願寺ハイキングコース登山口発5:10→自宅着6:15
  • 総行動時間:4.5時間
  • 総休憩時間:30分 
  • 総移動距離:17km
  • 最高標高:376m(梵天山)

★写真(35枚)

https://photos.app.goo.gl/UHE8jme4Jk5JgkKm1

★ レポート

2017年10月5日.BS1スペシャル「幻の山カカボラジ 全記録~アジア最後の秘境を行く~」視聴.

この番組は,以前放送された「幻の山カカボラジ ~アジア最後の秘境を行く~」の完全版に当たる番組で,放送時間は以前の50分から110分に延長されている.
最初の短いバージョンを見た時に,「この内容からすれば2時間でも尺が全く足りないのではないか?」という印象を受けた.おそらく視聴者からの要望もあったのだろう.今回は20分の未公開映像(?)が加えられ,「全記録」として放送された.

自分にとって,この番組の見どころは,今まで一度しか登頂されたことのない「幻の山」登頂へのチャレンジもさることながら,やはり日本トップの若手登山家たち,特に平出和也氏と中島健郎氏の二人がどのような活躍をするかにあった.

このチャレンジの結末,あのなんとも言えぬ独特の後味を持つその結末を,自分はもちろん知ってはいたのだが,長期にわたる密林行や,現地ポーターたちのサボタージュも含めて,今回も興味深く,楽しく,ワクワクドキドキしながら見させていただいた.

そして山番組といえば,先日の10月9日,BSプレミアムで放送された「にっぽん百名山 鹿島槍ヶ岳」においては,三戸呂拓也(元明大山岳部主将)がガイドとして登場した.こうして図らずも,この世代のトップ登山家3人を連続してTVで目にすることになった.

それら若手の登山家たちが,それぞれの立場で山に関わっていく姿を見てしまったためだろうか?今,自分が全く山に登れていない,否,関わることすらできていないことに対して「焦り」のようなものが,再び首をもたげてきた.

いつまでも山に登れるわけではない.それはやはりTVで放映された,NHKドキュメンタリー「田部井淳子 最後の山へ」において,田部井さんの最後の富士山行を視聴した時,強く感じた.たとえ登れたとしても,加齢とともに山行に関する様々な制限やリスクが増えていくのは,当然といえば当然.

山行に関するあらゆる事柄において,「焦りは禁物」であることは百も承知.にも関わらず,心の奥底で何かがうずくのを感じた.

そんな思いの中で日常を過ごしながら,ある時,試しにスクワットで脚力を確かめてみた.結果はなんと連続70回でダウン.脚力がここまで落ちていたのかと愕然とする.それと同時に今まで定常的に感じていた例の「焦り」は,より明確で,ある種の熱を帯びた「危機感」のようなものに変化した.黄色から赤へ.何とかしなければ.

くどいようだが,今年の6月末の徳願寺山での夜間山行訓練以来,低山すら上っていない.7~9月まで間は心肺能力や脚の筋持久力向上,というよりは維持のために,20kg背負子を担ぎながら数時間平地を歩いたり,訓練用に購入したハイドロを背に20km程度,やはり平地で歩く・走るを数時間繰り返すなどは,ほんの数回やっていた.しかしバランス感覚や歩行技術等を含めた山行能力向上のためには,やはり山道を歩く必要のあることは痛絶に感じていた.何とかしなければ.

そしてチャンスが巡ってきた.2017年10月10日.月明かりのある深夜の5~6時間が自分に与えられたのだ.その与えられた時間と現在の体力から逆算すれば,できることは,いつものように徳願寺山に登るおなじみの「夜間山行訓練」ということになる.

ただ前回と同じではどこか物足りない.「チャレンジ」が欲しい.その「チャレンジ」によって,訓練へのモチベーションを上げたい.

そこでまず負荷を増やすことを考えた.いつもは実戦で使用するザックを,実戦で想定される重量14kg前後にして訓練をしていた.しかし今回は20kgの背負子を背負うことにした.背負うのは古本の入ったダンボールとペットボトルの水.水はウエイトとしてだけでなく,飲料用としても使用する予定.

そしてルートだが,とりあえず前回同様,徳願寺山ハイキングコースから梵天山に向かい,そのピークを超えて,尾根伝いにある歓昌院坂(峠)まで歩くことにした.歓昌院坂(峠)は以前,歓昌院側から何度か上ったことがある馴染みのある場所だ.ルート上には危険箇所もなく,分岐もあるにはあるが少ないはず.前回の訓練のマイナー・アップグレード版といったところか.

午前1時に自宅を出発.靴は前回と同じ訓練用のArpenaz 50 .この靴で行った前回の訓練においては,靴底が薄いためか,足の裏がかなり痛くなった事は前回ブログに書いた.その後,対策として,ダイソーのジェルインソール(300円)を靴の中に敷いてみた.その靴を履いて20kg背負子を背負い,何度か平地で試してみたところ,完全に痛みは取れるわけではないが,大幅に改善されることがわかった.今回は山道だが,果たしてどうなるか.

しばらく固い車道を歩いた後,ヘッデンを点灯して麓にある寺の脇から山道に入る.久々の夜の山道のためか,それとも通常より重い背負子のためか,少し緊張してしまった.足取りは予想した以上に重く,身体は硬い.

しばらくそんな状態で登っていくと,徳願寺山門前の農道についた.CTはほぼ前回通り.疲労感は前回よりかなり強いものの,体感経過時間よりも短いタイムであることが実測で判明し,少し安堵した.そう.ここまではまだよかった…

…舗装された農道の上り坂を歩きだしてみて,はっきりと気づいた.歩行の苦しさが前回とはまるで違うのだ.呼吸,体全体の疲労感,心拍数,発汗量.どれをとっても前回とは段違いだった.前回は,訓練とは言え,山行のムードを楽しむ「ゆとり」のようなものがあったのだが,今回はいきなり気の抜けない「戦い」の様相を呈した.

「こんな状態が続くようだったら,計画変更もあり得るな…」

そのような考えが頭の片隅をよぎる.だがそれは強いプレッシャーにはならなかった.序盤がかなり厳しくても,それを乗り越えてしまえば調子が出て楽になることはよくある.そのためこの時は,計画遂行に関して自分は楽観的に考えていた.

徳願寺ハイキングコース入り口前に到着.その手前に設置されたベンチに背負子をおろし,夜景をながめながら喫水休憩と写真撮影に約5分を費やす.その後,コース入り口に続く馴染みの細いコンクリ坂を上っていった.


ハイキングコースの状態は前回の訓練時とほぼ同じ.逆に言えば季節感もなく,「小さい秋」すらどこにも見当たらない.いや,むしろ想定よりもはるかに蒸し暑く,晩夏のイメージに近い.この分では水消費も予想を上回るだろうが,ウエイトとして水は4.5リットルも背負っている.不足することはまずあるまい.

ハイキングコースに入ってからも,あいかわらず足取りも気持ちも重く,「戦い」は続いていた.やがて「戦い」は一種の諦念のようなものに到達し,感情は平坦になり,身体の動きは自動化されていく.まるでマシンだ.

前回の訓練行のCTから約5分遅れで,中継地点である徳願寺山展望台に到着.ここで再び5分休憩.写真撮影を試みたが,こちらも前回同様,安倍川方面の視界を伸びた樹木が遮っており,あまり夜景が見えない.すぐに背負子を担ぎ直し,梵天山へと向かう.

ここからも前回と同じ.尾根伝いの山道を軽くアップダウンしながら歩くと,15分ほどで梵天山山頂に到着した.山頂の様子と寒暖計の写真撮影を行う.そこで前回は気づかなかった標識を発見した.


山名標柱の前辺りに「南アルプス・奥大井自然公園運営協議会」の黄色い標識があった.なぜだろう?こんな山まで,この団体の守備範囲とも思えないのだが…


木の幹に設置されている寒暖計の表示は「19度」.しかしとても19度とは思えない.湿度が高く,風もないためか,体感的には2~3度高く感じた.また前回同様,未だに蚊も飛んでいる.長居は無用.撮影完了後,歓昌院坂を目指し,さっさと頂上を後にした.

梵天山山頂から歓昌院坂(峠)に向かう山道は,尾根伝いに下っていくのだが,これが意外だった.予想以上に急な下り坂だ.道筋もやや薄い.数年前に歓昌院坂から梵天山まで上ったことがあったため,ろくに地形図も確認してこなかったのだが,帰宅後調べてみると歓昌院坂と梵天山山頂の標高差は約200m,距離は約600mあった.この距離の内,中盤の約200mは平坦でアップダウンがない.必然的に標高差のしわ寄せが,序盤と終盤(約400m)に急坂となって現れる.そしてこの急坂がツヅラではなく,直登となっていたため,意表を突かれた形となったわけだ.夜で視界があまり良くないため,当然慎重に道筋を見極めながら下る.

「これは思った以上のタイムロスになる.そして帰りは間違いなく,ここで『戦い』になる」

実際,帰宅してからこの部分のCTをGPSログから確認してみると,上りと下りがほぼ同じだった…

最初の急坂を降りてしばらく行くと,懐かしい黄色い標識がヘッデンの投げかけた光の中に現れた.中電巡視路標識.いったい何ヶ月ぶりだろう?この慣れ親しんでいた標識を見るのは.


そうだ.確かこの道は中電の巡視路でもあったのだ.この標識には山の中で随分お世話になった.少し懐かしさがこみ上げてきた.

更に歩を進めると開けた場所に出た.そびえ立つ黒い影がある.中電の高圧線鉄塔だ.こちらもかつて随分お世話になった.高圧線鉄塔は自分にとって山中のランドマークであり,消失することのない堅牢な中間目標であった.またそこから長くまっすぐに伸びる高圧線は,方向と位置を教えてくれる大事な基準線にもなってくれた.真夜中であるため月夜とは言え,電線はおろか,鉄塔の上部すら闇に飲み込まれ,塔脚以外には何も見えなかったが,長年相見えなかった友と突然出会ったような,不思議なムードが自分を包み込んだ.

おそらく時間に余裕があったのなら,少しの間,このムードを楽しむために小休止するのだろうが,今回はそうもいかない.戦いが待っている.少しだけ写真撮影して,歓昌院坂へ急いだ.

平坦な,しかし少し狭い尾根筋を歩いていくと,再び下り坂が始まった.おそらくこの下り坂が終われば,歓昌院坂なのだろう.思ったより下り坂は長く感じたが,暫く下ると目的地である懐かしの歓昌院坂(峠)に到着した.

ヘッデンの光を回して周囲をザッとみた感じでは,以前来た時とあまり変わっていないようだった.以前来た時に倒れていた標柱は,結局作り直されなかったようで,残骸らしきものを地面に撒き散らし,横たわっている.さらに見渡すと誰が作ってくださったのか,小さな丸太ベンチがあった.これは以前にもあったかな?

さっそくベンチに背負子をおろし,しばし休憩.水を飲み,汗を拭きながら周囲をさらに散策する.するとたくさんの標識というより,看板(?)が新たに取付けられていることがわかった.


どうやら市岳連が取り付けた看板標識らしい.これらは以前にはなかったものだ.ブラックボードのように,黒地に白文字というところが斬新だ.この他に小さな案内図も木につけられていた.


これも以前にはなかったように思う.これは市岳連が付けたかどうかは分からない.防水のためか,ビニールの中に入れてあるので,暫くの間は持ちこたえそうだ.

ただ不思議なことに,この案内図を除いて,市岳連の看板標識には梵天山(別名高山)・徳願寺山方面や駿河嶺・大鈩山方面を指導しているものはなかった.自分が見落としたのかもしれないが,市岳連の方針としては,いわゆる「丸子アルプス」の尾根筋を歩くことは推奨していないのかもしれない.

周囲撮影を中心に約15分ほど休憩した後,やや気の重さを感じつつ帰路についた.ここまで脚,膝,腰などの関節や筋肉に炎症的痛みはないし,ズッコケることもなかった.ただ,この帰路はわからない.例の急登を上って疲れた後,下っていく感じになるので,膝が安定しない状態で下らねばならない可能性がある.そうなると膝などに負担がかかり,痛い目にあうかもしれない.

しかし実際に直急登の上りが始まると,そんな先のことなどは考えていられなくなった.脚の疲労と呼吸の苦しさで連続して上ることができない.情けないが,マイクロピッチを切らざるを得なかった.適当な木の根元でダブルストックに顎を乗せ,短い休息を何度も取りながら,効率の悪い上りを繰り返す.失われた体力を再び痛絶に感じつつ…

その感覚は,以前登った大光山山頂(1662m)手前の最後の急登を思い出させた.やっていることのレベルはまるっきり違うのだが,苦しさや状況が似ていたためだろう.あの時は快晴で暑い夏の日だったな.風もあまり吹いていなかった…

次に思い浮かんだのが,「スッペン河内」のガレから二王山(1208m)に向かう直急登だ.まっすぐに空へと続くあの細い坂道.下山時,日没が近づいているというのに,登っても登っても終わらない上り坂.何度,坂の上を見上げても,それは全く近づいてこない…そう,あれは確かに体力よりも精神にこたえた…

その無限の坂道をやっと登りきって,ようやく二王山山頂前のガスに覆われた平坦地についた時の安堵感.視界の効かないモノトーンの世界の中で,濡れた枯葉の上に残された微かな踏み跡を一人でただただ辿っていくと,穏やかな至福感が自分を徐々に包んでいった.

「ここは『この世』なのだろうか?」

そんな疑問すら,気が抜けて理性の麻痺した精神には,なんのためらいもなく浮かんでくる…


しかし今回の訓練にそのような「甘いご褒美」はない.急登が終わり,梵天山山頂に戻ってきて,これで一段落したことにホッとしたにはした.しかし梵天山の山頂にあるのは深い闇と蠢く小さな虫たちだけ.何のセンチメントも感じられず,そのままピークをスルーした.訓練なのだ.

その後はいつもより疲れはあるものの,ケガや故障もなく,徳願寺山展望台を通過.順調に下山していった.だが,一つだけ前回の訓練の時と重要な違いがあった.それは時間感覚のズレだ.おそらく疲労と背負子重量のためだと思われるが,いつもの道が異様に長く感じられたのだ.徳願寺山展望台からハイキングコース入口までの途中にベンチがあるのだが,それが何時までたっても現れない.もしやいつの間にか,どこかの知らない道に引き込まれてしまったのか?滑りやすい濡れた山道を下りながら,若干の不安にかられた.

不安感とともに,しばらくそのまま下っていくと,その例のベンチがひょいと右手に現れた.なんだ,間違っていなかったんだ.よかった.

ここでようやく自分の時間感覚が,通常の状態でないことに気づくことができた.背負っている重量とこの時間感覚のズレの相関関係は明らかではないが,おそらく正の相関関係がありそうだ.精神物理学.今回の訓練によって,それを実体験できたのは収穫だった.

ハイキングコース入口から農道に出ると,空が薄っすら白み始めているのがわかった.再び入口前のベンチに背負子をおろして,何枚か写真撮影.


撮影が終わり,再び背負子を背負い直して歩き始めた時,後方で何かが動く気配がして,ドキッとした.まだ暗くてよくわからないが,どうやら獣ではなく,人間らしい.話し声も聞こえてくる.二人連れのようだ.夜も開けきらないこの時間に,この真っ暗な農道を歩く人がいるのか?

その人達との間にはまだ距離があったので,自分はとりあえずそのまま前方に歩き続けた.ところがこのお二人の歩速が自分よりかなり速かった.健脚者のようだ.どんどん近づいてくるのがわかる.もしかしたら作物泥棒に間違われて,後をつけられているのかもしれない.そんな疑心暗鬼の気持ちが湧いてきた.

とうとうお二人に背後から追いつかれた.聞こえてくる話し声から判断すると,どうやら年配のご夫婦のようだ.お二人が自分の横を追い抜いぬきかけた時,自分は普段通り「おはようございます」と声をかけてみた.

山行中,あるいは山行前の農道や林道中に,出くわした人には基本的に挨拶するのは,自分にとって鉄則中の鉄則だ.理由はいくつかある.1つ目はその山域に関する最新の情報を交換するため.2つ目は何らかの事故が近隣で発生した時,協力して救助に当たるための準備として.3つ目は単独行者である自分と出会ったことを頭の片隅にでも覚えてもらい,万が一自分が遭難しニュースになった時に,自分に関する情報を救助隊に通報してもらうため.4つ目はもちろん,出会いそのものを楽しむため…

「おはようございます」明るい声で挨拶が返ってきた.返ってきたということは,会話ができる可能性があるということだ.山行中で出会う単独行者の中には,挨拶しても返事が返ってこない場合がある.明らかに話しかけられたくない,あるいは,人と関わりたくないという意思表明だ.それは単独行者の「スタイル」の一種なのだろうが,そのような孤独な(?)単独行者に出会うと,自分はいつも心配になる.

挨拶に続けて,この徳願寺山周囲の状況について,色々とお二人に尋ねてみた.すると意外なことがわかった.まず驚いたのは,この周辺でもニホンカモシカを見かけることがあるということ.ニホンカモシカというと,だいたいこの場所から30キロぐらい北,つまり南アルプス近くまで行かない見ることができないというイメージが自分にはあった.そのイメージは完全に覆された.

もう一つ驚いたのが,今回歩いた山道にマムシが出るということだ.旦那さんが山行中に何回か出会って,一匹はストックで退治したとのことだった.いままでこのルート上では,マムシはおろか蛇に出会ったことは一度もなかったが,今後は注意せねばなるまい.

ご夫婦は登山もされるようで,もしかしたらそのための体力づくりとして,この農道を散歩されているのかもしれない.そんなことを思いながら話を続けていると,農道から自分の下山するルートに分岐する徳願寺山門前に出た.お二人とはそこでお別れをして,自分は再び下りの山道に入った.

下山し,安倍川沿いの車道を歩き始めた時には,すでに朝日が登っていた.車や自転車の往来も始まる中,奇妙な背負子を背負って歩く自分は奇異に見えたかもしれない.少し恥ずかしさを覚えたが,固い舗装道路歩行のために痛み始めた足裏や,脚の筋肉痛,さらには荒い呼吸が,それらの気持ちを押し流すと同時に,「帰還」への集中を促していく…

そして帰宅後,かなりの疲労はあったものの,心配された関節炎などの身体へのダメージはあまり感じられなかった.おおむね訓練は無事にうまくこなしたようだ.課題としては,今回使用したシューズのインソール表面が滑りやすく,靴の中で足が動いてしまう点.特に横に動いてしまう点は看過できない.靴下を変えるか,別のインソールを試すか,現在のところ決まっていない.そして次の山行計画も全く…



2017年7月3日月曜日

夜間山行訓練:徳願寺山(352m)→梵天山(376m)縦走

★概要

  • 日程:2017年6月29~30日
  • 天候:曇り,梵天山山頂気温:21℃
  • コースタイム
    自宅発21:40→徳願寺山門前(標高121m)着22:30→徳願寺ハイキングコース登山口着22:40→休憩・準備5分→徳願寺ハイキングコース登山口発22:45→徳願寺山(標高352m)展望台(山頂)着23:10→梵天山(標高376m)山頂着23:25→休憩20分→梵天山山頂発23:45→徳願寺山展望台(山頂)着0:00→徳願寺ハイキングコース登山口着0:20→休憩・準備5分→徳願寺ハイキングコース登山口発0:25→自宅着1:35
  • 総行動時間:3.5時間
  • 総休憩時間:30分 
  • 総移動距離:14km
  • 最高標高:376m

★ レポート

雲ノ平を見てしまった!
 雲ノ平を見てしまった!

…もちろん実際に雲ノ平に行ったのではない.そんな時間も体力も財力も,今の自分には全くない.

今回見たこの二本は,今まで見てきた山番組と一味違っていて,深く自分の印象に残った.
その理由を少しあげてみよう.
まず,今回の採用ルートが北アルプス裏銀座縦走となっており,最初に日本三大急登の「ブナ立て尾根」が出てくるところ.
次に今回のガイドが,三俣山荘と水晶小屋管理人である伊藤圭であり,彼が長靴を履いて山を登っていたこと.
昨年お亡くなりになった彼の父上で「黒部の山賊」の著者,伊藤正一氏が紹介され,彼の持っていた山への恐るべき「情熱」を知ったこと.
さらに彼と,その弟の雲ノ平山荘管理人である伊藤二朗氏が,父正一氏について率直に語ってくださったこと.
そしてダメ押し.

山行中に伊藤圭氏の目の前で滑落事故が発生し,彼が実際に谷を降り,救助に向かったこと.
あのサバイバル登山家服部文祥氏が,テレビ番組「情熱大陸」収録中にやはり20m滑落し,肋骨を3本折った時,カメラマンとして同行していた平出和也(ピオレドール受賞者)に救助されたエピソードを彷彿とさせる場面だった.
しかし今回はそれだけにとどまらない.さらに印象に残ったのは,小屋に担ぎ込まれた遭難者を手当する小屋スタッフの手際の良さ.まるでERさながら.スタッフ全員が一体となって,各自無駄のない動きで,遭難者を迅速に処置していくその姿に,自分は深い感銘を受けた.
つまりこの番組の内容は,本来のトレッキングコース紹介といった趣旨からかなり離れた,いわゆる「登山」色の濃いものだったのだ.
おそらくのその「色」,その「匂い」が自分を強く刺激したのだろう.
「何が何でも山に行くのだ!」
どんな小さな山でもいいから,とにかく登りたいという思いが,激しく燃え上がってしまい,もはや居ても立ってもいられない.
暫くの間,梅雨っぽい雨空ではあったが,今晩はありがたいことに雨が降りそうもない.その他の条件も何故か今日は揃っている.いける.今晩やるしかない.
といっても諸事情で確保できる時間は,4時間程度.さらには山行計画も,身体的な準備も,装備のチェックもできていない状態.できることは当然「訓練」ということになるだろう.
訓練ならばやはり,通い慣れている徳願寺山が目的地として一番適当,かつ確実なのだろう.が,今回,それだけでは,何か物足りない.満足できそうにない.そこでいつかは歩こうと思っていた,徳願寺山から梵天山までの縦走路を計画に組み入れた.
梵天山(376m)は、以前に別ルートから上ったことがのある低山で,山頂の様子もよく知っている.夜間山行訓練の目的地としては,ちょうどよいと思えた.
前述の通り,この日の状況は,山行訓練実施にほぼうってつけだったのだが,実はいくつかの懸念材料もあった.まず一つ目は,その日の昼に腹を下していたこと.原因は不明で腹痛もなかったので,飲みすぎて水腹だったのかもしれない.一度トイレに行ったあとは,変調は起こらなかったが,やや気になる.
もう一つは,なんといっても体力面.前回,同じ徳願寺山に訓練に行ってから,5ヶ月が経過している.その間,当初はスクワットやシットアップなどの筋トレをしていたのだが,最近は筋トレをする元気すらなくなってしまっていた.いつ山に行けるのか,全くめどがつかない状況において,筋トレを動機づけることは,想像以上に難しいことだった.
これらは全く持って「言い訳」にすぎないのだが,とりあえず体調悪化による訓練中止も視野に入れながら,装備準備を開始した.
実は,今回の山行には,訓練の他にもう一つのやっておきたいことがあった.2つの装備テストだ.

前回の山行訓練中,使用していたランニングシューズのアウトソールが破損した.そのため,安い練習用トレッキングシューズを探したのだが,結局最も安価であろうケシュア(デカトロン)の Arpenaz 50 (税込1,990円)を購入することにした.すでに普段履きの靴として,慣らしを兼ねて舗装路で使用しているが,果たしてトレイルにどのぐらい耐えられるのかは未知数だった.
もう一つは,新たに買い替えたスマホg07のGPS性能とそのバッテリーに関するもの.g07のGPS精度,GPSロギングによるバッテリー消費傾向,及びモバイルバッテリーによる充電速度に関するテストだ.アンドロイドアプリ「山岳ロガー」でGPSログを取りつつ,GPS精度やバッテリー消費量をチェックし,本番山行に対応できるかどうかを確かめたい.
ちなみにスマホg07は,先日日本のGPS衛星「みちびき(QZSS)」にアップデートで対応し,GPS精度が向上した.しかしながらそれでも,以前から山行のGPSログに使用していたタブレットNexus7と比較すると,明らかにGPS精度は落ちる.果たしてg07は,GPSロガーとしてNexus7の代替となりうるのかを確認したい.
そそくさと装備を準備するが,何しろ久々なので手際が悪い.幾つかの手順を忘れていたことには,山頂についてから気づいた.携行する水は,ほぼ夏仕様の3.5リットル.本日は湿度がかなり高いとはいえ,かなり余ることになるだろう.ザック重量は13kg程度か.

21:40自宅を出発.徒歩で徳願寺山門に至る登山口前まで移動.ここでヘッデンを装着し,山道に踏み込んだ.湿度が非常に高いため,土も石も濡れており,予想以上に滑りやすい.ただし Arpenaz 50 のアウトソールには,そこそこのグリップ力と耐久力があるようで,最後まで一度もコケることもなく,またアウトソールが壊れたり,大きく摩耗することもなかった.

最後の階段を登り切り,徳願寺山門の手前に出る.ここからは舗装された真っ暗な農道を,徳願寺ハイキングコース入り口を目指して歩いて行く.道の両側から聞こえてくる,カエルの鳴き声がけたたましい.いったいカエルたちはいつ寝るのだろう? 

10分ほどでハイキングコース入り口に到着.ここから再び山道に入る.山道の状態は以前と変わっていないようだ.ただ途中で一つ変わったものを見つけた.


キノコだ.この季節に出てくるキノコもあるのだな.とりあえずスマホで写真をとっておく.

ここからは杉林の中,ずっと上りが続くのだが,思ったより身体が動いてくれるのがありがたい.湿度は予想よりはるかに高く,ヘッデンの光に身体から出る湯気が浮かび上がる.シャツはもちろん汗だくだ.

約30分で第1目的地の徳願寺山頂の展望台に到着.冬に訓練で登った時は,ここから静岡市街の夜景を見ることができたが,今回は樹木が伸びており,夜景は見ることができなかった.ただ山頂のベンチの後ろに,見知らぬ白い花がいくつか咲いていた.なんとなく自生ではないように感じられたが…


いつもならここのベンチに座って休憩を取るのだが,今回の最終目的地はここではない.撮影後すぐに,梵天山への分岐のある仏平に向かって歩き出した.

数分で仏平に到着.そこで,以前あったかどうかは忘れてしまったが,仏平の標識の上に,有志によるものであろう案内図を発見.先を急いだので,内容は未確認.


ここからは徳願寺ハイキングコースを離れて,梵天山への山道に入る.まったくの未知領域.最初は下りだ.

少し歩いて見てわかったのだが,そこそこ需要のある道らしく,予想以上に踏まれている.道筋もはっきりしている上に,分岐も出てこない.これならば,迷うこともなさそうだ.ただしハイキングコースではないためか,官製標識は出てこない.出てくるのはテープとケルンらしき石積みぐらい.
 

何度かアップダウンを繰り返し,15分ほどで数年ぶりに梵天山山頂に到着.ここは樹林に囲まれているため,展望も風も全く無い.



以前も使わせてもらったベンチにザックをおろし,さっそく休憩に入る.そして自分もベンチに座ろうと思い,敷物を濡れたベンチ上に敷こうとした時だった.ヘッデンの光条がベンチの上に何か蠢くものをとらえた.


大量のヤスデだ.ムカデと違って,噛み付いてくることはないらしいが,身体に這い上がって来ることだけはご御免被りたい.ここで座るのは諦めた.とりあえず立ったまま休憩.

梵天山は,いわゆる「丸子アルプス」に含まれる山.丸子アルプスの各山頂には,ノートと筆記具を収納する手製ポスト,寒暖計,丸太ベンチなどが備えられている場合が多いが,梵天山山頂もその例にもれず,それらが設置されていた.そこで寒暖計の温度を見てみる.



気温は思ったより低く,21度程度.暑く感じるのは,主に湿度のためのようだ.

目的地についたので,スマホから家人にGoogleハングアウトによる音声電話をかけてみる.ところが予想に反して,これがつながらない.ここは市街地に近く,完全に電波圏内であるはずなのに.スマホのSIMインジケーターを見てみると,なるほど4Gではなく3G通信に切り替わっており,なおかつ,ほとんど入感していない.湿度の高い樹林が電波を吸収してしまうのだろうか?何度か,トライしてみたがつながらず,途中で通話は断念した.

そうこうしている間に20分が経過.風もない山頂は蒸し風呂のように暑く,拭いても拭いても汗が吹き出てくる.ヤブ蚊も多く,すでに脚など数カ所を刺されていた.これは長いは無用.とっとと下山しよう.

下山のため歩き出すと,身体は思った以上に休まったようで,小気味よい良いテンポで歩を進めることができる.以前,山によく行っていた頃の,身体の感覚が戻ってきたような気がして,それがとても嬉しかった.ただし滑りやすい濡れた道を下るため,適度な制動と慎重さは,下山中ずっと要求された.

山道を抜け,農道に出て,数分歩いた時,ヘッデンの光がコンクリの壁に書かれている落書きのようなものをとらえた.


「仏平頂上↑」

その隣にコンクリートの階段.

どうやら徳願寺ハイキングコースとは別に,仏平に至るルートがあり,その登山口を示しているようだ.これは以前からあったような気もするが,石か何かで引っ掻いて書かれたらしい文字が,記憶よりもはっきりしているように見える.このルートの状態は全くわからない.日中に訓練時間が取れたら,チャレンジしてみたい.

さらに農道をしばらく歩いた頃から,足の裏にトラブルが発生した.両足の拇指球あたりが痛くなってきたのだ.おそらく靴紐の縛り方が甘かったのだろう.下りの歩行において,両足が靴の中で前方に動いて,ひどく擦れてしまったようだ.もはや血豆ができていてもおかしくない痛さだったが,帰宅を急ぐため,痛みを無視してそのまま歩くことにした.

下山を終えて一般道に入ってからは,足の裏の痛みはさらに増した.Arpenaz 50 は,今まで使用してきたトレッキングシューズと比較して,クッション性がほとんど感じられない.足の裏着地時の衝撃が,直に伝わってくる感じの靴だ.もしかしたらミッドソールが殆ど無いのかもしれない.これに関してはインソールを交換するなど,何らかの対策が必要になりそうだ.

1:35無事帰宅.疲れはあったが,想定内に収まった感じ.膝も壊れなかったし,腹痛も発生せず.足の裏をチェックしてみたが,拇指球部が赤く腫れていたものの,血豆はなく,その後,徐々に腫れも引いていった.ただ,右足の人差し指の爪はグラグラになっていたが…

水消費量は2リットルだったが,これはやや無理して飲んだ結果であり,本来の消費量はもう少し少なかったはず.

風呂に入って汗を流し,空腹を感じたので,カップ麺を食らう.そして…

…そしてじんわりと「満足」を味わった.肩に残るザック重量の余韻,脚全体を覆う熱い火照り,鈍い肉体的精神的疲労感,長い沈黙によって平に慣らされた「たましい」

「山に行ってきたのだ」

この不思議な満足感は,単純に山行欲求が満たされたことによるものではない.「今生きている」こと,そのものに対する満足と言ったらいいのだろうか?…よくわからない.感謝の念が自然に,心の奥底から湧き上がってくる.ああ,本当によかった.

これで終われば「めでたし,めでたし」だったのだろうが,話はここで終わらない.

実はその夜,うまく眠れなかったのだ.脚がひどく火照ってしまい,暑くて眠れない.そのうちウトウトしだしたのだが,明け方頃,急に目が覚めてしまった.そして体の変調に気づいた.喉の痛み,鼻詰まり,そして頭痛.油断してしまった.これはアレルギー症状か,風邪を引いた感じだ.アフターケアが足りなかったのかもしれない.

確かに今年の春は,全く山行ができなかったので,杉に慣れる機会はなかった.今回は久々の杉林山行だったので,もしかしたら知らず知らずのうちに,ある程度の量のスギ花粉を吸い込んでしまった可能性がある.そういえば顔も少し腫れている感じだ.杉林の中で,顔の汗を頻繁に拭き取ると,花粉が皮膚に刷り込まれて,この現象が起こることは,経験的には知っている.しかしアレルギーならば,目に異常がないのはなぜか?

目に異常がないとなると,風邪である可能性の方が高い.そこでとりあえずパブロンSを服用することにした.服用後は症状が緩和されたが,パブロンが切れてくると症状がぶり返したため,複数回の服用を余儀なくされた.

行動時間中は,思ったよりも身体が衰退していないと感じていたのだが,とんでもない錯覚だったようだ.このぐらいの負荷で風邪を引いてしまうということは,全く身体はできていないということじゃないか.

今は座学も,訓練も,筋トレも足りていない.これでは山に行く機会が巡ってきたとしても,単独山行は無謀というほかなかろう.

「ではどうするんだ?お前は.」とも思うのだが,今はその思いを脇においておくことを,どうかお許し願いたい.

今はもう少しだけ.この小さな山行の,甘い余韻に浸っていたいので.

2017年2月22日水曜日

夜間山行訓練(徳願寺ハイキングコース)

★概要

  • 日程:2017年1月21日
  • 天候:晴れ,徳願寺山山頂気温:5.3℃
  • コースタイム
    自宅発21:35→西宮神社(標高22m)着22:10→徳願寺山門前(標高121m)着22:45→徳願寺ハイキングコース登山口着22:55→徳願寺山展望台(山頂)着23:15(標高352m)→休憩30分→徳願寺山展望台発23:45→徳願寺ハイキングコース登山口着0:00→自宅着1:00
  • 総行動時間:3時間
  • 総休憩時間:30分 
  • 総移動距離:14km
  • 最高標高:352m

★ 感想

詳細は省くが,前回の訓練のときよりも調子が良かったため,予定にはなかったが,農道から徳願寺ハイキングコースに入ってみた.靴はボンドでソールを修復した例のジョギングシューズ.

上りは問題なかったが,下り終えた時点で片方の靴のかかと部分のウレタンがごっそり取れてしまった.ここからの修復はかなり難しいと思われるので,訓練用のシューズを購入する必要がでてきた.現在,候補検討中.

2017年2月8日水曜日

大平→高野マキ(大平のコウヤマキ,約780m)

★概要

  • 日程:2017年1月7日
  • 天候:快晴,高野マキ(約780m)山頂気温: 3.7℃,風ややあり
  • コースタイム
    自宅発3:20→大平バス停着7:15→興津川渡渉点着8:00→偵察5分→渡渉5分→農道終点(登山口)着8:20→第1水飲場着9:05→第二水飲場?着9:30→第一高野マキ遠望所?着9:55→第三水飲場?着10:15→高野マキ着10:30→休憩2時間→高野マキ発12:30→興津川渡渉点着14:20→渡渉(準備・片付含)30分→渡渉点発14:50→途中地元の方とお話3分→大平バス停着15:30→自宅着19:00
  • 総行動時間:13時間(自転車:4+3.5時間,山行:3+2.5時間) 
  • 総休憩時間:3時間
  • ルート:松浦理博「安倍山系 上」,高ドッキョウルート⑤

★写真(190枚)

★動画(6本)


★ レポート

遙かなる高ドッキョウ…

2016年11月26日,出羽→和少自ルート,途中撤退
2016年12月9日,湯沢→湯沢峠ルート,途中撤退

明けて2017年1月7日.再び高ドッキョウ(1134m)を目指す…

午前3:40に自宅から自転車行を開始.前回と同様,国道1号線沿いを興津まで行き,そこから国道52号線に乗り換えて,興津川沿いに北上する計画.

そしてそれは,国道1号線から国道52号線に乗り移るために左折した直後に起こった.それまで外灯のある道で自転車のLEDライトのみ十分だったため,ヘッデンを付けていなかった.おそらくそれがこの原因.

左折後,外灯のない歩道に乗り込んでしまった.そこで走りやすい車道に出ようとしたのだが,LEDライトだけでは路面がよく見えなかった.そのまま車道に出ようとしたところ,突如,前輪を縁石にぶつけてしまったのだ.スピードは出ていなかったが,突然の出来事だったので,自分は瞬時に何が起こったのか理解できなかった.ただ反射的に自転車を「投げ捨てる」ことはできた.

この判断が果たして正しいのかどうかわからないが,今までの経験上,自転車のハンドルを握ったまま,座った状態で自転車とともに倒れてしまうと,大きな怪我をすると自分は思っている.今回のような予期せぬ衝突が起こった場合,その瞬間に自転車を投げ捨てて,足がつきそうならば勢いのまま走り,足がつきそうもないなら,地面を転がりながら受け身を取るつもりだった.今回は足がついたので,自転車を投げ捨てた後,自分は少し車道を走っただけですんだ.ケガはなし.早朝であるため車道に車の通りが殆どなかったのが幸いした.

ただし自転車の方はと言うと,チェーンが外れ,後輪フェンダーとハンドルが曲がってしまった.ありがたいことにタイヤのダメージはなく,走行には問題なさそうだ.すぐにそれらを修繕してから,再び目的地に向かってスタートを切ることが出来た.しかし自分の士気には少なからぬ影響を与えたのは事実.ようするに「ビビってしまった」のだ…

…以前,今回のように自転車走行中,真正面から縁石にぶつかった時はスピードが出ていたため,自転車ごと前転し,顔からアスファルトの地面に落ちてしまった.自分は顔面に打撲と擦過傷を負った.ありがたいことに頭蓋骨も鼻骨も折れなかった.前歯3本は以前の事故で折っていてすでになかったので,歯もそれ以上失わずに済んだ.歯は安くはない.

その時の自転車はというと,前輪タイヤがロックしてしまったため,確か前輪を持ち上げながら後輪を転がし,自宅まで休み休み引きずっていったと記憶する.それがあまりに厳しかったので,帰宅直後,自戒のためにその時の顔写真を撮影した…

…やはり今回同様,冬の夜の出来事だった.おそらくその時のことが思い出されて,身のすくむ思いがしたのだと思う.

気を取り直して,再び国道52号線を走り始めたが,どうも体調がよろしくない.疲れているのか,ちょっとした坂道でも自転車をこぎ続けることが出来ず,下りて押してしまう.睡眠時間が1時間ぐらいだったので,その影響かもしれない.自転車行がいつもより辛く,長く感じられた.そして実際,それは長かった.

駐輪予定地の大平バス停に到着したのは,夜も明けた7:15.計画を1時間もオーバーし,4時間もかかってしまった.アップダウンもあったため,体力もそれなりに消耗しているようだ.とにかく時間が押しているため,自転車を駐輪すると,一服もせずそのまま興津川沿いの県道を歩き出した.目標は興津川の渡渉点だ.

今回の山行では興津川の渡渉が一つのポイントとなっていた.「安倍山系」には飛び石伝いに渡ると記載されていたが,はたしてそれが可能かどうか…


45分ほど歩いて渡渉点に到着.「安倍山系」に書かれていたとおり,コンクリートの農道は興津川の底を走っている.川幅は約7m,水深は15センチぐらいだろうか?まずはうまく渡渉に使える飛び石がないか,川を観察してみる.確かに渡渉に使ったような人工的に並べられた感じのする石の並びがあった.しかしその並びは完全ではなく,途中に大きな1.5mほどのギャップが存在した.しかもそのギャップの先にある石は平らではなく尖っていて,ステップできそうにない.さてどうしたものか?

結局,自分はこの途中まで並んでいる飛び石を使うことにした.最後のギャップは,飛び越して,その次の石の右側面をキックして左に横飛すれば,濡れずに対岸につけると判断したのだ.そして愚か者はそれを実行に移した.

意を決して,最後のギャップを飛び越えたまでは良かった.ところが次の石の右側面に足は届いたのだが,靴が全くグリップせず,そのまま滑ってしまった.当然重心を右足に置いていたため,自分は右前方の石のごろごろしている対岸に,正面から勢い良く倒れた.まず左膝を石で打ち,続いて反射的についた右手の甲を石で打ち,さらに額の左上を石で打った.それだけではなく,体の一部のように思っていた水消費の進んでいない12kgザックが加速された結果,まるで追い打ちをかけるように後頭部から自分の額を石に押し付けてきた.冷たい硬質な激痛が全身を貫く.

「やっちまった…」

痛みで動くことが出来ない.動くことが許されない.ただただじっと,痛みに耐えるのみ.死んだカエルのような無様な格好のまま…

自分は今までの山行中に何度かこれと同じ目にあったことがあるが,その時にいつも切実に感じる事がある.それは「孤独」だ.誰も助けてはくれない.この痛みを分かち合い,同情してくれる友もいない.単独行の冷酷な現実と,無謀な自分への嫌悪の苦味を,惨めに噛みしめる時だ.

痛みが少し収まった頃,自分は自己状態のチェックを開始した.左膝はかなり痛んでいる.出血もしている感じだが,メインは打撲だ.普通に歩けるので,骨は折れていないし,ヒビも入っていないだろう.額からも血は流れ出てこない.手の甲も打撲の痛みはあるが,ちょっと出血しただけで,動いてくれる.装備の損傷や紛失もない.これなら山行は続けられそうだ.よろよろと立ち上がり,石の転がる殺風景な興津川の中洲を対岸に向かって歩き出した.



中洲から山のある対岸までには,もう一度渡渉があるが,それは3mぐらいの幅で,たいしたことはなく,飛び石伝いに無事渡ることが出来た.そこからは放置茶畑の脇のコンクリート農道を上っていく.


農道の終わりは放置茶畑の角にあたっており,そこからは山道を上っていく.あまり人が踏んでいる感じはせず,荒れてはいたものの,道筋は明瞭.おまけにテープやビンのキャップで作ったマーキングらしきものが,頻繁に出現してくれた.思ったより良い出だしだ.

しばらく歩くと岩の多い杉林に出た.そこにはもう自分には顔なじみとなった「和田島少年自然の家(以下「和少自」)」のプラスティック製標柱が立てられていた.ありがたいことに,今回のルートは和少自認定路でもあるため,要所要所にはこのプラ標柱が立てられている.その標柱を過ぎて少し歩くと,今度は奇妙なマーキングが現れた.


見事に積まれたケルン.よほどケルンづくりに慣れた人が作ったようで,芸術的と言っても良い絶妙なバランスで石が積まれている.このケルンもその後,要所要所に現れてくれた.だいたい和少自プラ標柱のある場所にはケルンがあったので,もしかしたら和少自のプラ標柱が立てられる前は,このケルンが標識の役割を果たしていたのかもしれない.

最初のケルンを越えてからしばらくは,支稜の尾根に乗ったり,降りたり,乗っこしたりしながら,広葉樹林や杉林の中を進んでいく.杉林の中の一部の道は,杉の枝で厚く覆われているため,極めて不明瞭になっている.そのような場合でもテープ等のマーキングを探せば,大体見つかったため,道に迷うことはなかった.

さらに進むと大きな岩から水の滴り落ちている場所に出た.傍らには和少自プラ標柱が立っている.その標柱には「第一水飲場」と書かれていた.「安倍山系」で出現予告された場所だ.


よくある水場のようにパイプこそないが,小さな白糸の滝のように水が細く滴り落ちているため,きれいな水を飲むことができそうだった.ただし水流が細いため,ペットボトル等に水を貯める場合には時間がかかるかもしれない.

とりあえず道は間違っていなかった.次は「第二水飲場」が現れるはずだ.少し撮影を行った後,今度は枯れ葉に埋もれた山道を登っていく.

15分ほど行くと,開けた場所が見えてきた.緑に苔むした岩がゴロゴロしている枯れ気味の沢のような場所だ.そういえばこの風景には見覚えがある.


今回のルートについてネットで事前調査した時に発見した山行記録の中に,この風景と似た写真が掲載されていた.うろ覚えだが,その山行記録の写真には「ここで道が不明瞭になる」と添え書きされていたように記憶する.

とりあえず沢の方へ下っていくと,そこは開けた河原のようになっており,道筋も消えてしまった.ムードとしては対岸に道があるようだが,一見,どこを渡ればよいのかわからない.とりあえず高巻きの可能性を探るために,上方の大きな岩のある場所を偵察してみた.



すると草に巻かれた,脱色したボロボロのテープを発見.その奥に見える岩と斜面との間は,細い隙間が見える.どうやらこの隙間から高巻く感じで登るようだ.

水に濡れた段差のある岩場を慎重に上ってみると,確かに対岸に道らしきものが見える.ありがたいことにここにも倒木にテープが巻かれており,登山道を指導してくれた.テープの指示通りに,僅かに水の流れる涸れ沢の苔むした岩の上を歩いて対岸に渡ると,今度は和少自プラ標柱とケルンが出迎えてくれた.近くには炭焼き窯跡のような人工的に作られた穴.


だとするとここは「安倍山系」に書かれていた「第二水飲場」ということになるが,和少自プラ標柱にマジックで書かれた文字は,すでに消えかけており,判読することはできなかった.仮にここが第二水飲場とすると,残念ながら水はほとんど流れていないため,水場としては十分に機能していないことになる.

「第二水飲場」らしき場所を過ぎて,しばらくすると広葉樹林から杉林へと樹相が変わった.そこからの山道は尾根に向かう急坂となり,笹が道を覆っていた.少しだけ笹を漕いで尾根に取り付くと,笹の中に和少自プラ標柱を発見.


「→第一高野マキ遠望所」と書かれている.道なりに少し歩いてみたのだが,遠望所の位置がよくわからない.標識もないので,高野マキがよく見える場所が遠望所ということなのかもしれない.ちなみに樹木のため,ここらあたりでは樹間から高野マキと隣に建てられた避雷針がわずかに見える程度だ.


遠望所らしき場所を過ぎて,ほとんど水の枯れた沢に降り,渡渉.対岸に渡った後は,その沢と崩落地の間にある山道を,ケルンと和少自プラ標柱に導かれながら上っていく.涸れ沢の白い砂地をサクサクと踏んで,さらに上っていくと,左側の谷の対岸斜面に炭焼き窯跡らしきものを発見.「安倍山系」によれば,この炭焼き窯跡を過ぎてしばらく行くと,「第三水飲場」が現れる.

やがて前方に小さなケルンと和少自プラ標柱が見えてきた.その先には小さな涸れ沢が道を横切っている.プラ標柱に書かれた文字は,ここでも読めないが,おそらくここが「第三水飲場」のようだ.そしてここにもほとんど水はない.


第三水飲場をすぎれば,高野マキまではあと少しのはず.傾斜の緩やかな広葉樹林帯の山道を上っていったのだが,ここで薄々感じていた身体の異変にはっきりと気づいた.

いつもならば気持ちの良く明るい広葉樹林帯の道を歩くと,気分がよくなり,疲れていても楽しい気分になるものなのだが,何故か一向に楽しい気持ちにならない.むしろ疲れと寒さと痛みに注意が向いてしまう.体温も上昇してこず,汗もあまりかいていない.何かおかしい.さらにこれも原因不明なのだが,視界の端がぼやけている.メガネが汗で濡れたためかと思い,何度かタオルで拭ったのだが,ぼやけたまま…

軽い低体温症だろうか?時計の温度計表示から推定される気温は5度程度.朝食はカップ麺を食っているので,500キロカロリー程度は投入されている.ただし,ここまで行動食はほとんど摂っていない.ケガの痛みで食欲を感じることができなかったためか?それとも風邪を引いているのか?原因はよくわからないが,普段の体調ではないことだけは明らかだった.とりあえず高野マキまではいかねば…

そこからひとのぼりすると,巨大な老木がお出迎えしてくれた.高野マキ到着.風景を楽しむ(といっても林の中の小平坦地で,眺望はないのだが)よりも,とりあえずザックを下ろしたかった.避雷針電柱の隣にザックをおろして,すぐに休憩に入った.時刻は10:30.防寒のためザックからレインウエアの上着を取り出し,それを着込みながらこれからどうするかを考える.



「安倍山系」に掲載されていたCTでは,ここから約1時間で高ドッキョウ山頂につく.しかし現在の体調では,倍の時間をみておかねばならない.おそらく山頂到着時刻は12:30.そこでの休憩を1時間みると13:30.下りがバス停までおそらく4時間ほどで,17:30.となるともはや帰宅は21:00頃になってしまうだろう.しかも再渡渉という不確定要素がある…

避雷針電柱の前に座り込み,様々な要因を加味しながら,頭のなかでシミュレーションを何度も繰り返した.しかし答えはいつも同じだった.「現状での登頂はリスクが高い.仮に登頂後無事下山できても,帰宅は大幅に遅れるだろう」

結論.今回は高野マキで撤退することにした.その決定と同時に一つの問題が発生した.時間が逆に余ってしまったわけだ.早く帰ればいいのだが,せっかくここまで来たのに,それはまた惜しいではないか.せめて眺望はないけれど,山の雰囲気を味わっていたい.おそらく夏場ならば問題がないのだろうが,気温は4度ほどで,風も少し吹いているため,じっとしていれば寒い.とりあえず体調と相談しながら,休めるだけ休んでいこう.自分は昼食の準備に取り掛かった…

…2時間が経過した.いつの間にか,2時間もの時間が経過していた.記憶がはっきりしないのだが,もしかしたら,うたた寝をしてしまったのかもしれない.確かに今回は新しいスマホによる360°パノラマ写真撮影の実用試験を行ったので,普段よりも撮影に時間がかかったのは事実だが,それにしても2時間は長い.やはり体調の悪さが,この2時間を要求したのだろうか?

「高野マキ」についても少し書いておく.正式名称は「大平のコウヤマキ」で静岡県天然記念物に指定されている.倒れていた県によると思われる説明板によると,その選定理由は,本来マキは雌雄同体なのだが,「大平のコウヤマキ」は大変珍しいオスの木であるかららしい.誰が発見したのかはわからないが,よく見つけたものだ.周囲の樹木より背が高いため,遠くから見ると周りの樹木から頭が突き出て見えるため,古くから目立った木ではあったのだろう.弘法大師の置き忘れた杖がこの木になったという伝説や,その伝説に基づくであろう根本に置かれた石仏の存在にもこれで合点がいく.


わざわざ金をかけて背の高い避雷針電柱も付近に設けられており,それなりに保護されているとは思うが,ここまでの道の荒れ具合や倒れっぱなしの説明板などをみると,忘れ去られているのではないかという気もしてくる.そう思うとこの孤独な老巨木が憐れに思えてきた.古くはランドマークとして,最近では天然記念物として少しの間脚光を浴びたのかもしれないが,今では自分のような変わった山行者が,時折立ち寄る程度なのかもしれない.そういえば立ち話をした地元の方も,ここまでは上ったことがないと言っていた.

さて高野マキから下山を開始後,わずか2時間で興津川渡渉点に到着.今度は無理せず,靴を脱いで渡渉することにした.

実は自分は渡渉のための道具を持参していた.ダイビング用すべり止め付き防水靴下だ.材質はネオプレーンで厚さは3mm.足首にベルクロもついているため,水があまり入らない.冬場の渡渉では水温が低く,できれば避けたいところだが,これならばそれほど冷たい思いをせず,また川の中で転ぶことなく,渡渉できるはずだ.「はずだ」と書いたのは,今回が初めて実使用するからだ.

ちなみに今回は持参しなかったが,100均セームも渡渉用具と考えている.ややかさばるが,素早く水を拭き取ることが出来るだけでなく,渡渉以外の用途も可能で汎用性が高く,何より軽い.

さてトレッキングシューズと靴下を脱ぎ,防水靴下を履いたのだが,靴と靴下をどうしたものかと考えた.おそらく通常ならば,靴の中に靴下を入れ,両方の靴を靴紐で結び,それをカラビナでザックに吊り下げるのだろう.ところがこの時自分は,グレートトラバースで田中陽希がやっていた「靴投げ」を思い出した.つまり靴を対岸に投げるという方法だ.確かにそのほうが楽で,確実なようにその時の自分には思えた.それが甘かった.

ザックを背負う前に,先に靴をアンダースローで投げてみた.ところが予想以上の靴の重さのために,指から靴がすっぽ抜けて,なんと川の中に投げ込んでしまったのだ!うわっ,靴が流されていく.その場所から数m下流には堰堤があり,滝のようになっている.そこまで流されたら回収は不可能だ.こりゃえらいこっちゃ!なりふり構わず川に突進した.ズボンの裾を濡らし,水をバチャバチャ跳ね上げながら,何とか靴をキャッチ.膝から下をずぶ濡れにしながら,ザックのある岸に戻った.危なかった…

普通ならこれで懲りるのだろう.しかし自分は「靴投げ」にこだわった.「靴投げ」の実用性をもう一度確かめてみたいという知的好奇心が強かったのだろう.しっかり握ってやれば大丈夫だ.

そしてその通り,しっかり靴を握って再びアンダースローで投げてみた.するとなんとしたことか,今度はすっぽ抜けはしなかったが,握りすぎて靴が上方に飛び上がってしまったのだ.そして靴はそのまま川の中にボチャンと落水!うわっ,靴が流される!なりふり構わず川に突進.今度は前より流されたが,何とかキャッチできた.ああ,危なかった…

誰も見ていない山の中で,こんな一人コントを演じていた自分.いったい何なのか?あまりにバカバカしくて,おかしくて,その場で大笑いしてしまった.実際には笑い事ではなかったのだが…

とにかくこの2回で十分に懲りたので,靴は投げるのはやめて,ザックに吊り下げ,無事渡渉完了.防水靴下の効果は絶大で,冷たい思いをすることもなかった.短時間のためか水も中に侵入しなかったようだ.ただ落水した靴も靴下もぐちゃぐちゃになっていた.渡渉後約30分も費やして,できるだけ靴と靴下の水分を取ったが,あまり効果はなく,あきらめて濡れた靴下と靴をそのまま履いた.そこから大平バス停まで歩き,さらに自転車で3.5時間かけて帰宅.トレッキングシューズ(コロンビア)の透湿性に期待したのだが,結局靴の中は乾くことはなかった.ただマメができなかったので,ほぼ予想通りの時間で帰ってくることは出来た.渡渉時のケガの痛みは,その後2週間程度続いたが,現時点では回復している.

この「痛い」山行からすでに一月が経過したが,諸般の都合により,なかなか山行する時間がない.先日購入した山本正義著「登山の運動生理学とトレーニング学」を読み,スクワットなどの筋トレを行って準備はしている.次回は今回と同じルートをとり,高野マキ経由で高ドッキョウを目指したいのだが…